ハイになる前に

「心ならもう決まってる 僕の前を僕の影が征く」

グズラと私

相当長時間ブログを放置した
やめたわけではないけれど、いろいろあって…

と言いかけるけども、別にそういろいろあったわけでもない
その前と、我が人生の界隈、さして変わらない
最近ちょっと忙しかったのは事実だども、その前はうなるほど時間もあった
何が変わったわけでもない
要するに、グズが発動していただけだ

幼少のみぎり、家族からの私のあだ名は「グズラ」だった
3歳くらいまで祖父母と同居だったが、その後そこそこ育った後も、よく祖父母から「早よせんね!!おらぁグズラだどやねえ笑!!」と呼びかけられていたものだ
(とはいえ怒鳴るような怖い雰囲気ではなく、ノロノロ動く孫の私を、呆れて笑いながらおちょくってせっつく、というような感じ)

私はこれだけ呼ばれといて、当時ずっと「グズラ」とは何なのか、分かっていなかった

今ならネットで瞬時に調べられることだけども、当時は、というか、これほどネットが普及する前の私に「グズラ」が何であるかを確かめるすべはなかった
ただ一つ、名前からそいつがグズであることは明確であった
「ラ」がついてるし、ゴジラあたりをもじった、何かのキャラやろな…と認識していた
そしてこれほど家族にグズラと呼ばれるということは、私はかなりのグズなんやな、という自己イメージが出来上がった

「グズラ」の姿を初めて見たのは、中学くらいの頃かな?
確か昔流行った宝島社の「VOW」のどれかで、グズラの写真が載っていた
その説明が誤植だったのか、内容は忘れたが「ははあ〜、これがグズラか…」としみじみと眺めたのを覚えている
なんということもない、グズそうな、恐竜みたいな見てくれで、ことさら印象にも残らなかった
その後調べたら、私が生まれる前のモノクロのアニメだったようで、何をするでものろっちい孫の私を表現するのに、祖父母の世代には非常にピンとくるキャラだったのかもしれない
その後、懐かしのアニメ!みたいな番組とかでもチラッと見たことくらいはあるような、気がするが、それも特に記憶に残っていない

グズにもいろいろあろうが、私の場合はまず、何にでも時間がかかる
仕事も家事も買い物も、出かける準備も、風呂もトイレも長い
さらには、所要時間を見積もれない
時間を読むのがヘタかつ苦手、普段から自分のペースがどのくらいか、の意識がない
1時間位かな〜と見積もってやり始めて2時間かかるとかザラ
時間を見誤って出かける前にドタバタ、とか日常茶飯事

この能力の欠如って、社会人としてはかなりの痛手である
こんな私が、かつての職場でなぜ成り立ってたのかわからない
こんな私を仕事で使う人はたいそう苦労したであろう(エア謝罪を飛ばす…)

具体的には、何か作業している時、「時間」の概念がいつも吹っ飛んでいる
集中している時、どれくらい時間がかかってるか、みたいな情報からかなぐり捨てている、と思う
こういう時間感覚の欠如と、手の遅さは、多分関係があるんだろう

いい年になった今の私のグズは、そういったことよりも
何かをやろうとする時の、取り掛かりの遅さ
一歩を踏み出すまでの足の重さ、腰の重さ、に如実に現れだした
ブログでも、絵でも

不安、恐れ、めんどくささ、かったるさ

何かを成し遂げた後、めちゃくちゃに批判されたら?
批判されずとも、スルーされたら?
リアクションを求めてやってるつもりはなかったのに、いつの間にかリアクションを折り込み済で考えている

何かを思いついても、ああ、でもそれをやるくらいならこないだ思いついたあっちの方が先かな…
で、いざそっちをやろうとしたら、ああ、でも今なら時期的にこっちかな…
でもでも、こないだあっちの方を先延ばしにしたし、それくらいならいっそこっちの…(無限ループ)

絵を描くのは好きだけど、作業は嫌い
線を引き、色を塗ってる時の没我の感覚は好きだけど、そこに至るまでが嫌い
書きたいもの描きたいものはあれど、描きたいものが(文章力・画力的に)すんなりスムーズに描けないストレスも嫌い
絵を描いた後、家事をするのが億劫
むしろ家事が控えてるなら、絵は後にしたい
後顧の憂いが何もない状態で、まっさらで、取り掛かりたい
…となると必然的に夜から着手となり、夜中のラブレターみたいな作業になってしまい、仕上げたもののクオリティも怪しい上に、朝から寝る、みたいな、おかしなことになる
やがて「…私は本当に絵を描くのが好きなのか?」と自問自答したりし始める

 

これは一体何なのか?
この引っ掛かりが何もなくやれる人と私の違いとは、一体何なのか??
私は何がどうなったら、この引っ掛かりを飛び越えて違う世界に行けるのか???

 

作品として一回も見たことがない、グズラを見つめる
どんなヤツかも全く知らないのに、勝手に私に紐付けられたヤツ
特に親近感もわかない、かといって恨んでいるわけでもない
でもこいつが象徴するものは、間違いなく私の中にビッタリ張り付いて息づいている
それを持て扱いかねて、私は今も文字通り、グズグズしている

このグズグズしている私を、私自身がグズラと呼んでいた、何度も記憶の中で
いい年になった私を、もはや家族たちはグズラとは呼ばないが(古いかつマイナーやし…)、私は多分ずっと、自分をグズラと呼んでいた
そして今日、私はとうとう音を上げた

 

ハイ、私はグズラですよ
もういいです、グズラで
だってパッパ動けんし、時間も読めんし、いっつも慌ててるし、
でもそれでいいです、事実なので

 

と、諦めた
どうやら、グズラと呼ばれることに抵抗してたらしい、プロのグズ師なのに
スッス動けない、これが私という人間で、その事実に歯向かうなんてムリなのに、スッス動けない自分に、全身全霊で歯向かっていたくさい
そして歯向かい続けてまた1日が終わる、のくり返し

祖父はものすごくせっかちで、その娘の我が母(団塊)も、年々せっかちになってきた
待ち合わせに1分遅れると烈火のごとく怒り、食事に行っても私がまだ食べているのに自分だけ身支度して席を立ってレジに行ってしまう
この人々の中で、我が父のひねもすのたりのたりかな遺伝子は、驚天動地のノロさに見えたであろう
そういう、相対的な要素があって、私の「グズ」の自己イメージは助長されていったのかな、と今は思う
そして、もういいよ、グズで…と、我が父のヘラヘラ遺伝子も発動しつつあるくさい

そうやって、グズグズしてヘラヘラしてる方が、なんか体にいい気がする、私の場合
いろんなことに、取り掛かれなくても、もうええやんか、それはそれで
人間いつ死ぬかわからない、そう思うとジュッとお尻に火がついた気持ちになるが、現時点での私の場合は、死ぬ日を基準に考えるのも、性に合っていない気もする(性格、年齢、環境などによってその方が俄然原動力になる人もいるはず)
それが本当にやりたいことなのであれば、無理強いしなくても、いつかやるやろ
自分はいつかそれをやる、ということだけ、信じていよう

いろんなことに、あまり抵抗しないで生きていきたいね

グズラ

…名前がグズラだからといってこいつが本当にグズかどうかはわからんぞ!
(おおかたグズと思うけど!)

ガリガリとシャービック

ツクツクホーシが鳴くと、宿題終わってないなー…と思っていた頃のことを思い出す
夏、毎度のこと

小さい頃大好きだったのはこれ

どーもーガリガリでーす
これ、我が家では「ガリガリ」と呼んでいた
凍ったところをガリッとかじる食感と音からの呼び名と思われる
夏の暑い日、祖母は「ガリガリ食べるね?」と冷凍庫から冷気の湯気の出るガリガリを出してくれた
数年後には自分で好きな味を出してきた
オレンジ味が大好きで、色の濃いぶどうはいつも余った
白は具体的に何の味かいつもわからなかった

ツクツクホーシと甲子園の音を聴きながら、ガリガリをかじる
食べ進めて袋が長くなってくれば、キッチンバサミでカットする
どんな時も、祖母の家の冷凍庫にはガリガリが凍らせてあった

長じて首都圏でバイトをした時、これは世間的には「チューペット」らしいことに静かに衝撃を受けた
しかも「ガリガリ」名はすでに「ガリガリ君」が世の中に幅をきかせており、以後私はガリガリの名を口にすることはなくなった(通じんし)

 

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▲ガリガリって呼ぶヤツ、九州にすらおらんやないか!

とはいえ、今回は「ガリガリ」で通す、言いにくいし、他の名前

ところでコイツの、首のあたり
私にとってのガリガリは、右である

スタンダードとは
気づけば世の中のガリガリは、左の肩があるタイプになっていた
左の方が量は多そうだが、個人的には右のなで肩タイプの方が好き
なんていうか、左のはなんか、そっけないんだ…ガリガリを愛する子どもを、突き放してるような気がしてさ…
なで肩の方が、一口目をガリッと行く際に引っ掛かりがないので、「あますところなく僕を食べてよ!」って言ってる感じがしない?しないか…

そしてまた、ある時期からガリガリは「途中で折れる」ようになった

ポキッ
私にとってのガリガリは、途中のクビレなどはなかった
いつからこうなったのかは知らないが、これなら小さい子にも対応できるし、違う味を食べたい時も半分ずつで楽しめる
…でもこれも、なんかさあ〜〜!!
結局折らずに1本通しで食べたい時に、このクビレのところでやっぱり、ガリガリを愛する子どもを、突き放してるようなさ…
「さて、ここらで半分ですけど、まだ召し上がります?」みたいな?
食べるし!!ほっとけ!!
やっぱりガリガリにはスーッと一本、スマートでいて欲しくてさ…
途中警告なんて何もなく、ふと気づいたら終わりも近い、みたいな方がさ、「ああ、もうお別れだね…」ってガリガリが言ってるような気がして、叙情的じゃない…?そうでもない…?

昭和の夏休み、祖母の家での氷菓といえば「シャービック」が外せない

理想
パッケージの、夢と輝きに溢れた星形ハート型、トランプ型
おしゃれなピック、脚でも付いたガラスの器にかわいらしく盛られたシャービックは、小学生のあこがれを誘う

ところが祖母の家にそんな最先端の型が置いてあるわけがない
たいていは余っている製氷皿と、何の用途か分からない雑〜なボウルを使うしかない

さらにいざ作ろうとすると、意外と牛乳が切れてたりする
「…水でも作れます、って書いてあるし…いっか…」

そして固まるまで待てず、つい様子を見てせっかく表面にできてた薄い氷部分をハデにクラッシュさせ、さらに待つ羽目になったり

…気を取り直して、辛抱強く固まるのを待って、2時間後!!

現実
足のついた器はないから、せめてガラスで!
しゃれたピックは諦めてつまようじでよかろ!
謎のボウルの分は、ダイレクトにスプーンでこそげちゃー!

そして、妥協して水で作ったシャービックの、フヌケ感!!!

夏休みになったら、お祖母ちゃん家でシャービック作る!!は、夏に絶対にやらなければならない、もはや儀式だった
ガリガリも、テレビ見ながら、絵を描きながら、夏休みのあらゆることのお伴のおやつだった
…ガリガリもシャービックも、涙が出るほど好きだった

今は、びっくりするほど食べないねえ〜!!
色がすごいから?
他のおいしいもの、いろいろ知ってるから?

大人の今の人生には不要な味だったとしても、涙が出るほど好きだった気持ちはすごく必要だ
少なくとも私は、そういう気持ちがないと、生きていけない、くらいある

なんだろうね、この感じ

筒型豆腐とばってん荒川

先日突然、いちょう切りの豆腐が入った味噌汁の姿を思い出した
昔、豆腐って筒型のがあった
今見ないな〜

味噌汁に入っている豆腐がいちょう切りで浮いてると、ああ、お祖母ちゃんはトントン豆腐を買ったんだな、と思っていた

幼稚園〜小学校低学年くらいだったと思うが、いちょう切りの豆腐=元が筒型=これはトントン豆腐である、とひも付けていたのは、料理をしていたからではなく、スーパーで並んでいる豆腐コーナーに、筒型のがあったのを覚えていて、同じものを大好きなばってん荒川がテレビCMで勧めていたからである
CMの細かい文句は忘れたが、商品名部分が今でもばってん荒川の声で「トントン豆腐♡」と脳内再生される

ばってん荒川「ぴら〜」

昔のばってん荒川は鼻先を赤くしてなかったし、シワシワでもなく、むしろちょっとふくよかだった
どう見てもオッサンなのに、ばあさんのシナを作るのが異様に上手い人だった
お祖母ちゃんの荒尾弁は熊本弁とは似て非なるものらしいが、それでもやはりばってん荒川の言葉は非常に近く、しかもアッパッパみたいなのを着たりするので、子供心にばってん荒川はお祖母ちゃんの身代わりというか、象徴のような、崇拝にも近い思いで見ていた
ばあさん芸といえば、私にとっては志村でも青島幸男でも桑原和男でもなく、ばってん荒川である

トントン豆腐以外にも筒型の豆腐はあったので、いちょう切りの豆腐が絶対トントン豆腐であるとは限らなかった
子供心にもなんとなく、ウチのお祖母ちゃんはCMやってるようなメジャーな豆腐は使わないのではないか…とも思っていたが(値段のごつ味のようなか!大体あがんとは広告費が値段に乗っとうとばい!的な意味でメジャーを避ける風潮って…あるよね…)、なんというかもう、子供の身でばってん荒川の圧倒的な押しには抵抗できないというか、「筒型の豆腐はとりあえずトントン豆腐と呼ぶ」みたいな処理をしていた

 

豆腐です

もはや検索しても見つからない昔の青いトントン豆腐、遠い記憶をがんばって寄せ集めてもこの貧弱なるビジュアル…!敗北感…!!
青いビニールの口は堅いカネの留め金で留めてあり(昔のソーセージはこういうカネの留め口を歯でグリグリねじって引きちぎって開けてたね!)、口の方の豆腐にはビニールのシワがくっきりかたどられていた
使う時はこのボディの真ん中を一刀両断する

軽く調べてみたら、充填豆腐はぴっちり封ができるので日持ちがして便利、ということで、まずはこの筒型の袋に豆腐のモトを詰める形だった、ぽい
やがて機械化が進んで四角く整形できるようになって、これは推測だども、筒型より角型の方が輸送しやすいということで、筒型豆腐は淘汰されていった、のではないかと思われる

お祖母ちゃんは、充填豆腐が世に出た時はどう思ったのだろう
「豆腐が丸かやら、おかしかー」と思ったかもしれない
豆腐屋の豆腐の味に比べたら、豆腐によう似た違うもんたい、と思ったかもしれない
でも当時の私は、筒型豆腐のツルンとした食感が大好きだった
孫が好きなら…なんてことで、使うようになったかもしれない、聞いてみたい

今また、筒型の豆腐があったなんてことを、世の中は多分忘れていってる
欲しいと思っても、お取り寄せでもしないかぎり手に入らない
思えば、味噌汁以外にも、円筒形の豆腐をそのまま小皿に乗せた冷奴、なんかもよく食べた
あ〜、無性に食べたくなってきたぞ!!筒型豆腐!!

トントン豆腐の味噌汁

 

トントン豆腐のCMはなかった…残念…
しかし勢い的にはこのような感じ↓
「しごつ(仕事)の早か」の辺りがもう、たまらん…


【九州ローカル】 ばってん荒川さん ニッコウ住建CM 【昭和】

子供にゃ分からんオツな味

大人は有難がるが、子供心にその魅力が今ひとつ分からない料理、というのがある
お祖母ちゃん家で出てくる料理にもいくつかそのテのものがあった

 

【一文字ぐるぐる】

一文字ぐるぐる

わけぎ?小ねぎ?(熊本では「ひともじ」と言うらしい)を、さっと湯がいて、くるくる〜っと丸めて、辛子酢味噌をかける
この「ひともじ」がグルッとなったものがボウルに積まれているのを、台所で見かけた時の私のガックリさ加減ときたら…笑

子供には「ネギ」「だけ」が「湯がかれた」「だけ」の上に「辛子酢味噌」とかもう、
いっっっっっこも惹かれる要素がない
大人は旨い旨いと喜んで食べるが、もーなんが有難かとか、いっちょんわからん!!!もんの筆頭だった

…のであるが、大人になってから食べてみたら、これがもう、得も言われぬ旨さ
特にこの、「ぐるぐる」の形状がよろしい
一本丸ごとぐるぐるしてあるので、白いとこ青いとこ、両方を一気に味わえる食べ応え
そこに郷愁の味わいが乗っかれば、無敵の旨さ
子供の頃はイヤイヤ食べた記憶があるが、今となってはこれの何がイヤだったのかが全然わからない
人って…変わるんだね…

一文字ぐるぐるは、巻くのがヘタクソでも酢味噌かけたら分からんし、だいたいが量をこづんでおけばよか!
湯がき過ぎんこと、適度に水分(ネギの中のねっとり成分など)を切ること、とか押さえとけば、たいがい大丈夫!

とはいえ、今はお祖母ちゃん自身に、作り方のコツを聞いておきたかったなあ…と思う
お祖母ちゃんは「藤商店のからし酢みそ!」が好きで、よく菅井きんの真似をしていた
そのせいか、未だに辛子酢味噌はつい、藤商店のを使ってしまう…
そして余らせる…

 

辛子蓮根

辛子蓮根

これは作るもんではなく、買ってくるもの(と私は思っている)
蓮根の穴に、和辛子を練り込んだあん(?)を詰めて、周りに黄色い衣をつけて揚げてある
子供には辛すぎるシロモノで、これはもっぱら、酒の肴である

当時私は宮崎に住んでいて、両親が共働きだったため、夏休みの間はずっと福岡(のやや田舎)の祖母の家に滞在した
お盆頃になると父母も祖母宅に来るのであるが、娘ムコさんである私の父には、祖母はよくお酒の肴として辛子蓮根を出していた
それを父はヒャッヒャ言いながら大喜びでつまむ
子供の私は(あげん辛かとの何が嬉しかとか…バカんごたー)と、呆れていた

祖母が手作りしていた記憶はなく、福岡では今も大きな店にしか売ってないので、あれは父の手土産だったのかもしれない
酒好き珍味好きの父は、嫁の実家に持参してまず自分が食べるほど気に入ったものと思われる

和辛子系の辛さが苦手な私は、子供の頃はもちろん、長じてのちも食べたことがなかったが、これを期に、と挑戦してみたところ、

旨い!!!
そして辛い!!!!!
でも旨い!!!!!!

…という感じで箸が止まらなくなる
父がドハマリしたのもうなずける

お酒に合うということは…?と試しにご飯のおかずにしてみたら、これもまた合う!
ビリっと強烈に辛いので、刺激的な箸休め?休まらないけど?という一皿

 

【いきなり団子】

いきなりとは「いきなり(すぐに)作れる」ということらしい
いきなり団子については、団塊世代の母には絶対に譲れない点があった

それは

「中身はお芋だけしか入れてはならない」

である

芋だけのいきなり団子

いきなり団子は、ある時から急速に市民権を得て、福岡でもそこら辺で売られるようになったが、たいてい、サツマイモとあんこが入っている
母に言わせればそれは邪道らしく、

「いきなり団子は芋の甘みだけを味わうのが正式!あんこはつまらん!!」

…みたいなことを長年吼えていた

母の母、である祖母のいきなり団子はもちろん、サツマイモのみだった
母にとってはそれが懐かしの味・ベストであるかもしれないが、サツマイモがあまり好きではなかった子供の頃の私には
(え〜、おイモだけ〜…?)
テンションだだ下がりのおやつとなるわけである(バチ当たり)

たしか時々、芋+あんこのいきなり団子も作ってもらった気がするが、アレは多分メインで餡餅かなんか作って、あんこが余ったから、おまけで、みたいなものだったような?
いきなり団子ばしようかね、と立つ祖母の背中に、あんこを入れろ…入れろ…と毎回念を送っていた(そしてその念はだいたい届かなかった)

蒸かしたてのいきなり団子はしっとりツヤツヤして、少し塩気のある生地がモチモチ、中身のサツマイモはたいていホコっとしていた
最近はねっとり極甘のサツマイモが多いが、あの頃のは粉っぽいというか、口や胸の水気を持っていくものだった
お水を飲みながらでないと食べ進められない私をヨソに、祖母は自分でこしらえたいきなり団子を、いつも嬉しそうに食べていた

…時移り、世はもはやサツマイモの甘さのみを楽しむ時代ではなく、いきなり団子といえばあんこ入りが常識となった
しかし考えてみれば「いきなり」作れるからいきなり団子なのに、あんこを作ってたらとても「いきなり」とはいかなくなる
小豆を数回茹でこぼしてミキサーで粉砕し(祖母のあんこはこしあんだった)晒で絞って砂糖を入れて絶えずかき混ぜながら煮詰めて練って…というあんこ作りのゴールの遠さ
切ったサツマイモをくるんで蒸かすだけ、というのがいかに「いきなり」か、あんこを作ってみるとより分かる

そして今、サツマイモだけのいきなり団子はほぼ、自分で作るしかなくなっている
これはまだ、挑戦したことはない

※※※

これら3種、全て熊本の郷土料理である

祖父母は熊本県荒尾の出身、転勤で九州中をあちこち引っ越したが、昔から馴染んだ料理を好んだのであるらしい
私が生まれてのちは、福岡県東部に定住しつつも、これらは食卓でよく見かけた

ひと月前の大地震以来、熊本の人も大分の人も、「おおごとしよる」と思う
あれからずっと、静かに熊本という土地について思いを巡らせている
私にとっては、熊本とは祖母の懐かしき料理だったので、作ってみたり買ってきてみたりした
それらの熊本の料理をつまみながら、おいしいなあ、みんな食べたかろうなあ、と思う
昔からその地に伝わっていて、何度も何度も食べたもの
子供の頃はイマイチ…と思っていても、大人になってから目にすると、矢も盾もたまらず食べたくなるもの

「おおごとする」前の世界に、元通りに戻ることは難しいかもしれない
でも「おおごとする」前の世界に培っていたものを、もっとよりよいものを、再び手にすることも、出来るはず

熊本には(もちろん大分にも)、一人ひとりの人生に、いろんな形で登場した懐かしいお味がたくさんあるだろう
そんなお味は「おおごとする」前の世界に、自分を紐付ける力がある気がする

今まさに「おおごとしよる」人が、気持ちの良い寝床でぐっすり寝て、いいお湯にでも浸かり、ホカホカになったところで旨いお酒と郷土の料理を楽しむ晩を、いつか絶対手にするぞと思い描くのは、何かの力になりはしないか
当事者ではない私が言うことでもないかもしれんし、勝手に想像しとるだけやけど

※※※

首都圏住みの頃、毎日クタクタに疲れてボロボロだった時、熊本産のトマトに何度も救われた
売り場でヘタの香りをかいでみると、他とは全然違うのである
九州モンに特別響いたんか知らんけど、青臭くて豊かな、夏野菜の香り

熊本では農作物も、今年はもちろん大打撃
でもストックとか直接被害がなかった土地からの流通はあるのか、今は野菜売り場で見かけたら、極力熊本産を買うようにしている

熊本産の野菜、なんでもおいしかよ…もし見つけたらぜひ、買うちゃってんやい…

バースデーシースクリーム

長崎の老舗菓子店「梅月堂」の名物「シースクリーム」は、長崎モンを一発で黙らせる威力がある(※諸説あります)
我が父は長崎産とはいえ所詮よそモンの私は、このケーキの存在を全く知らなかった


sheath cream

食べてみると、今時のフランス風洋菓子とは一線を画す、不思議なお味であった

まずスポンジが違う、よくあるケーキとは違い、カステラ風というか、とにかく

「あーーーーこのスポンジの感じ、知ってる…!!」

さながらユングの原型の如く、昭和の人間が共有している(と思われる)あの頃のスポンジ感
そのくせ味はあの頃よりもずっと旨いので、ちょっとお脳が混乱する

ツヤツヤのゼリーをまとったフルーツは「缶詰(?風)の黄桃」「缶詰(?風)のパイン」
これらは「イチゴショートのフリしてサンド部分はイチゴじゃない」とたばかる時の材料なのだけども、このカット、サイズ感でドーンと乗ってると、もはや一周してありがたみが増し、いよいよこのケーキに酔いしれたあの頃の感覚がよみがえる…(酔いしれたことないけど)

そして贅沢に盛られた生クリーム…
私は生クリームがニガテなのだけども、創業120年を超える梅月堂渾身の生クリームは質が違っている
きめ細かくて軽い、涼やかな生クリームで、私でもニッコニコで食べられる
スポンジでサンドされたカスタードクリームも実に風味がよい

何から何まで昭和なパーツでできていながら、ここまでおいしいなんて、よくできたケーキだなぁと毎度感心する

****

シースクリームは、生粋の長崎っ子であるみゃ父も大好きである
昭和30年代に初めて世に出たシースクリーム、当時の長崎の子どもが、どれほどこの最先端の「ケーキ」にあこがれ、ウットリ夢見ていたことか…などと思いを馳せる

この「シースクリーム」の「シース」は、以下のようないわれがあるそうで…

シースケーキの「シース」とは英語で"sheath"、つまり刀の(さや)を意味する。これは発売当初のシースケーキの形状と、その誤訳に由来している。発売当初のシースケーキブッセ生地にカスタードクリームをはさみ、その上にトッピングを施したものだったため、その様子が豆の莢(さや)に似ていることから名付けられることになった。ところがこの際に本来なら"pod"(莢)という訳語を当てるべきところを誤って"sheath"(鞘)を当てそれが定着したとされている。

シースケーキ - Wikipedia

今さら訂正のしようがない「さや」違い…

でも「ポッドクリーム」より「シースクリーム」の方が、ずっと「特別な日だけに食べられる洋菓子」の風情がただよう気がする

そんなシースクリーム、今年はみゃ実家からホールタイプのものをいただいた!
(我々夫妻は本日揃って誕生日かつケコン記念日なのであった)
冷凍で送られてきて、冷蔵庫で解凍!イエーイ

丸いと感じが違う!

…丸くなっただけで一気にフツーのショートケーキっぽくなってる! 

切ったよ

 切ったらシースクリーム感戻ってきた〜

 

 ↓↓シースクリーム以外のお菓子も激旨オススメ☆

baigetsudo.com

 

夏休みの友の絵

9/1、といえば私のような輩は宿題が終わらずにベソかいたクチ

 
夏休みの友はまだあるのかな?
だいたい夏は絵と裁縫をやれというのが織り込まれてて、夏休みの間じゅう滞在していたお祖母ちゃんの家には、わざわざ水彩絵の具セットも裁縫箱も持って行った(お祖母ちゃんの裁縫道具は子供には使いこなせないのである)
 
お絵描き大好きのくせに、描けと言われるとぴたりと描く気が起きないのはこの頃も同様で(成長していない)、とりかかるのはだいたい夏休みも終わりに差し掛かり、ツクツクホーシがやかましくなる頃であった
 
そもそもこの夏休みの友の絵とは多分、夏休みの思い出を描けとかいうものだったと思われるが、私にとって夏休みとは親とどこかへ出かけるものではなく、お祖母ちゃん家で過ごすことそのものだったので、題材に困るわけである
 
その夏休みも、何を描けばよいのか見当もつかない中、ふとお祖母ちゃん家の裏口側のお隣、Fさん宅の塀からわっさりあふれた花に見惚れ、描いてみることにした
 
その時私はまだ、花の名前を知らなかった
大好きだった花の図鑑にも載っていなかった
お祖母ちゃん家では犬走りを述べ何周するか分からんほど一人で遊び倒し、裏口もさんざん通って来たはずなのに、その時になるまで花の存在に気付かなかった
夏休みが始まった頃からこの花あったんかなあ…?なんで今まで気付かんかったっちゃろ、と思った
 
考えたら実際にあるものを自分の意思で描いたのは、あれが最初だったかなあ?いや、分からんけど…
でも最初のはっきりした記憶かもしれない
 
未だに見かけると、どうしてこんな色、姿かたちになったのかと、不思議な気持ちになる
 
花びらは風になびいています
 
 

オーロラ検証中

アナログ絵のスキャンって夢がなくなる…けど気にせずトライ

くしゃくしゃにして水に入れてなんてら、って例のアレ、オーロラって呼んでた!

オーロラ少女