ハイになる前に

「心ならもう決まってる 僕の前を僕の影が征く」

かしわ餅について

数年前、夏休みの話を書いていたが、しばらくしてちょっと体調不良におちいり、回復はしたものの、なんとなくそのままにしてしまった。
でもあいかわらず、魂はいつも祖母の家に漂って行ってる。

春休みももちろん、宮崎から福岡の祖母の家に行き、休みの間じゅう滞在していた。
この時期は、お祖母ちゃんが作ってくれたかしわ餅のことを思い出す。
かしわ餅といっても、柏ではなくサルトリイバラの葉でつつんだもの。
それでも祖母は「かしわ餅」と呼んでいた。

祖母はあんこづくりが上手な人だった。
じっくり煮た小豆をミキサーで粉砕し、年季の入ったさらしの袋に入れ、ぎゅうぎゅう絞る。
絞ったものを雪平に入れて、ざらめ糖をどっさり。
火にかけて木杓子で練る。
焦がさないようにかき混ぜ続けなければならないが、砂糖が溶けた小豆は混ぜるたびに「じゅっ、じゅっ」と鳴り、子供の私はハラハラした。

出来上がったあんこは、餅に入れるサイズに分けて丸める。
祖母は全くの目分量であんこを丸めていくが、それがいつも量ピッタリ、余りもせず不足もしない。
丸め終わると祖母はいつも
「見てご覧、お祖母ちゃんが作ったらピシャリ!」
と自慢そうに言った。

餅に入れるよもぎは、祖母が詰んできたもの。
これをすり鉢で当たるのが私の役目だった。
よもぎの繊維を断ち切るようにすりこぎで潰していくと、ふわっと草っぽい、薬っぽい匂いが立つ。
上手上手、と祖母はいつも褒めてくれた。
今もすりこぎ作業が好きなのは、この体験が影響しているかもしれない。

餅は、年末同様餅つき機を出してたような気もするが、粉を水で溶いていたような記憶があるので、白玉粉上新粉みたいなものだったかも?
生地によもぎのペーストを入れると、きれいな緑色になる。
打ち粉にまぶされた生地をちぎり、丸めたあんこをくるむ。
おしりを閉じて、手の中でくるくる丸める作業は楽しい。
どうしても祖母のようにうまくはできないが、へたくそでも葉っぱでくるむので平気。

サルトリイバラの葉のことは、祖母はただ「葉っぱ」と呼んでいた気がする。
祖母の取ってきた、丸くて筋の入った丈夫な「葉っぱ」2枚で、餅を挟む。
そして蒸し器でふかすのだ。

蒸し上がったかしわ餅は、葉っぱの色がくすみ、さわやかな香りがする。
祖母はいくつかを小皿に乗せ、家の中の神棚や仏さまに上げて回る。
「ねーねー、食べていいー?」
「ハイハイ食べんね」
「いただきまーす♪」

葉っぱをはがすと、つやつやの緑の餅が出てきて、中にはお祖母ちゃんのあんこがたっぷり詰まっていて、えもいわれぬおいしさ……
自分がつぶしたよもぎだ〜、と思うとおいしさもひとしお。
やがて祖父がやってきて「んん〜〜〜〜よかね〜〜〜〜♪」とお茶になる。

祖母の判じ絵

昔描いたかしわ餅(この絵はよもぎ入りではない)

このお餅も、ちゃんとレシピを聞いておかなかったことが悔やまれる祖母の味の一つ。
そして当時から不思議だったのは、

(お祖母ちゃん、いつの間によもぎやら葉っぱやら取ってきたと……??)
(どこに生えとっとば取りようと……???)

いつも思ってたのに。一言聞いておけばよかった。

子供の私は、カゴをしょって山道を歩いている祖母の姿を思い浮かべる。
よもぎや葉っぱを摘みながら、山道を歩く想像の中の祖母はなぜか、絣のもんぺみたいなのを来て、手ぬぐいをかぶって歩いている。
そんな格好してるのは見たことないのに。
どこかに秘密の場所があるのかな。教えてくれないかもしれない。

今も、祖母のかしわ餅の思い出と、子供の頃の私が想像した祖母の姿の記憶はセットになっている。
孫に食べさせようと思っているのか、自分が食べたいだけなのか、あんこをきっちり丸めたいのか、向こうの山道の祖母に声をかけて、呼び止めて聞いてみたい気持ち。

 

山道の祖母(想像)