ハイになる前に

「心ならもう決まってる 僕の前を僕の影が征く」

名札に入れた夢

最近の小学生の名札は、防犯上の観点からひっくり返せる仕様になってるとか、そもそも登下校時につけさせないとか、いろいろあるようで
まあそれも仕方ない、様々な要因から子どもを守る方法も多様化してきているということで

ところで、団塊ジュニア世代のわしの小学生時代は当然、名札はバリバリの安全ピン装着、年がら年中針が刺さっている服の左胸はみんな穴だらけであった
子どもを狙った犯罪も当然あったが、名札によって犯罪者に名前が知れるかも、みたいなことはそれほど問題視されてはいなかった(都会のことは知らないが※当方宮崎育ち)
なので子どもたちは全員、のんきに名札をぶら下げて登下校していた
名札を忘れた日はなんとなく左胸がスースーするような錯覚まで起こすほど
(ちなみに名札忘れは忘れ物の中でもちょっと重い「忘れ物」だった
体操服や給食着忘れは、それがないと授業参加や大事な役目が果たせなくなる重さがあったが、名札忘れは別にそれを使って何かをするわけではないのに、体操服や給食着を忘れたのよりも強い罪悪感があった
なんというか、人としてなってない!みたいな雰囲気…?わしだけかもしれんけど)


そんな名札に、小学生だった我々は実にいろいろなものを入れた
学校名が印字または縫い取りされた紙や布の名札が、柔らかいビニール製の入れ物に入っているわけであるが、その紙や布以外に、ものを入れるのが鬼流行っていたのである
何を入れるかは、地域学年によりいろいろあろうが、わしの小学生時代に席巻していた代表的「名札に入れるもの」を思い出した

◯匂い玉(香り玉)*1

だいたいこんな感じの瓶入りだった

名札に入れるものNO.1といえばこれ(なのか?)
よくあるのは、直径2〜3mmくらい、表面はすりガラスのようで、材質はゴム?樹脂?よく分からないが、楕円形で半透明の小さな粒で、いろいろな香りを放つ不思議なブツだった
なんか、ファンシーショップ*2とかで、小さな小瓶とか、細長いシャー芯入れくらいの入れ物に入ってたような記憶
我々の頃はもっぱらフルーツの香りやら花の香り、色もとりどり、それらを好きなように名札に入れ込んだ
入れすぎて名札が丸く膨らみ、何かの拍子にボロボロボローっとこぼれてしまう人もいた
見かけない色のものを入れている人がいると、どんな香りがするのか気になったりした
また、見たことのない色や香りのものがないか、文字通り鼻を利かせながら店頭をうろついたものである

そんなある時、わしは親に一風変わった匂い玉を買ってもらった
それはいわゆるファンシーショップではない店で売られていて、布の袋がついていた
開くと、よくある半透明のゴムっぽいすりガラス風ではなく、粉っぽいというか、ちょっとラムネのように見える粒だった

巾着の高級感…

匂いはそんじょそこらのものではかいだことのないような、えも言われぬ清々しい花の香り、確か風情のある香りの名前までついていた気がする
これは…!!!とテンションダダ上がり、直接名札に入れると溶けてしまいそうな気がしたので(なんせ粉っぽいもんで)、布の袋ごと名札にぶら下げるという荒業に出た
きっと「わ〜!見せて見せて」「うわ〜いい匂い〜!!」と大反響となるに違いない、とほくそ笑んで登校したが、クラスメイトはまるっきり無反応であった
粒が見えてないので当然だった…と思い直し、休み時間に数粒出して改めて名札に投入してみたものの、やはり誰にも気づかれない
この頃には匂い玉が流行りすぎて、みんな何かしら名札に入れていていちいち見なくなっていたし、自分から言わなければ気付かれもしないわけで、コミュ障気味のわしはそんな話題を友達にふっかける度胸もなく、前日MAXまで上がっていたテンションは大空振りに終わったのであった

そしてちょうどその日くらいから、匂い玉そのものの流行がやや廃れていった
わしの変則匂い玉導入は、時期を逸したわけである
しかしわしはその後も後生大事にその匂い玉を身に着け続け(諦めが悪い)、時々開いて香りをかいでうっとりした
この匂い玉には罪はない…みたいな気持ちだったような、気がする

◯アルファベットマカロニ

これは、わしは名札に入れたことがない
ないが、猛烈に憧れていた
確か、上級生の流行が我々の学年に降りてきた、ような記憶
ちょっとカッコいい、スポーツできる、ショートカットが眩しい上級生のお姉さん、なんかが、我々よりちょっと年季の入った名札に入れていた
そして我々の学年でも、特別な人しか入れてなかったような気がする
この特別とは、クラスのカースト上位とか、お姉さんがいるとか、何か特殊な流通ルート(マカロニの…)に顔が利くタイプの人、である

このアルファベットマカロニは、そもそもどこで売られているのかさっぱり分からなかった
スーパーにあるのは、普通の筒状のもの、ねじれたもの、蝶々みたいなの、貝殻みたいなの、車輪みたいなの…
それらとは大きさがまるで違う、なんせ名札に入るサイズなので、3mm×6mmくらい
そして匂い玉みたいに欲張っていろいろは入れず、せいぜい2〜3文字分である
入れられたアルファベットが、その人のイニシャルではない場合、
(もしや、好きな人の…!!!)
とハッとさせられたりする、罪なブツである

宮崎の小学生だったわしには、この粋なアイテムを手に入れる手段がなく、やがて
(アレ、うっかり間違って名札を洗濯したら、ふやけてしまうっちゃなかろか…)
と酸っぱいブドウ理論まで持ち出して執着を断ち切り、なんとかやり過ごした
そのうちアルファベットマカロニを入れている人も見かけなくなったが、後にも先にも、マカロニにこれほど憧れた時期はないと思う

スポーツできる感
実際の宮崎の小学生はみんなこげこげに日焼けしていた

◯スパンコール

スパンコール、わしは未だに憧れがある
この年になっても、机の上にばらまかれたスパンコールの山なんか見たら、ウッ、と胸が締め付けられるような感覚に襲われる(そもそもわしは幼少のみぎりよりキラキラしたものに目がないクチで、スパンコールへの執着もその一環である)

クラス中、目新しいものを見つけるとこぞって手に入れ、それはたいてい袋にザラッと50枚程度ずつ入って売られているので、みんなで交換したりしていた
最初は丸くて六角形の型がついた、一番オーソドックスなものを入れていたが、やがて星型が流行り、続いて花の形、やがて動物の形のものが出始め、わしはトナカイがぴょーんと飛び跳ねる形のものを手に入れた時の感動を未だに覚えている

スパンコールいろいろ

色もとりどり、星型の頃は金銀に単色、大小取り混ぜて色々入れたものだが、やがて大きさは1cm前後のものに落ち着き、虹色のものなどが出てきて、みんな色めき立って集めては名札に入れた

そしてわしは究極のスパンコールを入手した
ミルキーな地色にオーロラ感あふれる光沢が施された贅沢な色で、形はなんとその「トナカイがぴょーん」なのである!!!!
君に、君に出会うために生きてきたよ…!!!とばかりに、これまで我がコレクションの最高位だった赤いトナカイから、そのオーロラミルキートナカイに入れ替えた時の、震えが来るほどの興奮たるや!!!*3

こうして意気揚々と名札にミルキートナカイを掲げて登校したわけであるが、確かクリスマスが終わった頃には、形そのものが時代に乗り遅れているような気がして、当初の熱狂はスン…としぼんでいったような記憶がある…(クリスマスが済んだ途端、トナカイにもツリーにもサンタにも赤と緑にも興味が失せるアレ、この当時からあったっぽい)

降臨…!!!
神鹿かのような勢いで崇め奉っていた

*

記憶に強く残っているものを挙げたが、これ以外にも、紙石鹸とかシールとか、水のりを着色した謎の物体なんかを貼り付ける、なんかもあった気がする

あの頃、躍起になって名札に入れたものは夢と憧れ
これらは大人にはわからない、強烈な「カワイイ!!!」「イケてる!!!」の塊だった
それを調達して名札に入れ込んだ時、それをつけた自分までなんだかグレードアップしたような気分になった

なぜ「名札に匂い玉やスパンコールを入れるとグレードアップ」するのか?
モテたいとかでもなければ(別に匂い玉やスパンコールでモテはしない)、何かのおまじないというわけでもない(Oh My Birthday…)

不思議なことに、自分自身のことなのに、その論理的な繋がりがわからない
大人になったわしには、あの頃のわしの気持ちはもはやわからないのである

でも、その時々で猛烈にテンションが上がり、生まれ変わったような気持ちになった記憶だけは残っている
多分、メイクをしたり、髪型を変えたり、新しい服や靴、アクセサリーを身に着けた時の高揚と同種のものであろう
とはいえ、当時だって、新しい髪型や服やアクセサリーに興奮することはあったわけで、こうした高揚が匂い玉やスパンコールでも発動するのはもう、小学生特有の現象なのかもしれない*4

とはいえ…
こういう不思議なときめきの記憶はいつもキラキラしていて、ある種の酩酊をくれる
時々ふところからそっと取り出して、光にかざして眺めてはまたしまい込む、ガラス玉のようなものだ
みんなそんなものを持っている、これはその中の、ひとつである
もう戻らなくてもいい日々の産物だけど、自分の中で確かに、ただの石が時を重ねて宝石になっているのである

 

ゆめ

*1:「においだま」だとノドにできるという別のモノが思い浮かぶ向きもおありでしょうが、現在は香り玉と言われているものを指して当時の我々は匂い玉と呼んでいて、匂い玉と書いております悪しからず…

*2:見るだけで目に炎が宿り物欲が爆発する魔窟

*3:この、ミルキーっぽい色が珍重される傾向は、ビー玉の色のヒエラルキーと近い気がする、もちろん地域差年代差はあろうが

*4:というか、デコの精神?なのか…?今わし自身があまりデコに興味がないから分からんだけで、デコり感覚がある人には当然の現象なのかもしれない…

【風呂入るのかったるい】入浴中にオススメの気の紛らわし方

毎日毎日、風呂に入るのが恐ろしくかったるい
正確には風呂に入る「まで」がかったるい
入りさえすればスッキリさっぱりして気分がいいと分かっていながら、いつまでも入らない
入ろうと思ってから30分…1時間…
TV見たりスマホ見たりラジオ聞いたり、で気づけば2時間なんてザラ
ツイッターでもこんなうめき声がよく聞こえるので、似たような人は多いらしい

わしは風呂上がりに簡単な風呂掃除までやるので、それもかったるポイント
風呂…うーん…入るのはいいけど掃除がね〜〜…とグズグズ(お得意)
かったるさが頂点に達した日は、今日は掃除パスしよ…と自分をなだめすかすとやっと入れるが、入り終わって自分がさっぱりするとどうしても掃除せずには出てこれない
どうせやると分かってるのに、毎度登校拒否くらいかったるいのは何故なのか

しぶしぶ風呂場に入ってからも、かったるさはまだ続く
頭を洗い顔を洗い体を洗い、浴室を掃除してからお湯に浸かり、あがってお湯を抜いたら最後に浴槽を洗い、さらに肌の弱いわしは風呂上がりにあれやこれや塗り込む必要があり、しかも酷い天パなので念入りなブローが必要…
…などと風呂場のドアを開けてから思い巡らすと、ゴールの遠さに絶望する(※毎日)

そんな、全く気乗りしない入浴でも、終盤の、お湯に浸かる頃にはかなりスッキリしていて、温かいお湯に身を浸す心地よさですっかり極楽気分になっているのも事実
問題は風呂に入るまでと、入ってからしばらくの作業中である

ということで、わしは入浴の冒頭からしばらくは、勝手に以下のような物語を想定して気を紛らわしている
このほど3つ目のスタイルが思い浮かんだので、これを期にメモしておくことにした

(1)風呂に完璧に入る選手権の世界チャンピオンになりきる

自分の入浴の仕方そのものがあまりに完璧すぎて、競技としての世界標準と化している世界にいる前提
例えばわしの場合は、シャンプーを丁寧に手で泡立ててから髪に乗せて、泡をふわふわブクブクにして地肌をゆっくりマッサージ、すすぎはしつこく丁寧に、を心がけているが、そこに自分で解説者の絶賛を織り交ぜた実況を入れる

解説者「出ました、ここでこうして先に手で泡立てておくことが肝心なんですね」
実況者「入浴後に汚れの残り方の審査がありますが、この方法が一番、汚れが落ちることが判明し、今はこの洗い方が世界のスタンダードと化しています」
解説者「彼女が編み出した、一番効率的な洗い方ですね」(※実際は美容師に教わった)
実況者「さてすすぎですが、いつ見ても見事な手さばき」
解説者「汚れの他に洗剤の残り方も審査されるのですが、彼女のすすぎ方だと毎回ほとんど検出されません」
実況者「この選手は肌が弱いんですが、それを逆手に取って完璧なすすぎを追究したんですねえ」

個人的にすすぎが甘いと痒くなったりするから、昔からそうやってるだけのことであるが、ここでは汚れとか洗剤とかの残り方審査があるなど、自分に一番都合のいい審査基準を設けるのがコツである
声はだいたい、オリンピックとかの実況解説の声色が当てられている、脳内で
実況はうまいNHKアナ風、解説はかつての第一人者で今は指導解説者の素人っぽい声の出し方の女性である

もともとは、すごく急いで風呂に入らないといけない時に、自分を急かす目的で始めた実況入浴だった
当時は入浴の仕方というよりタイムが重要視されていて、実況の文句もたいてい「すごい速さだーーー!!」とかだった(そしてそれはすごく効果があった)
今は主に風呂のかったるさを紛らすためのストーリーへと変遷を遂げているが、今でも早く風呂を済ませたい時は実況一択である

ちなみにこの実況、さすがに声には出していない
いないが、頭の中ではもう実況と解説がガンガン鳴り響いていて、うるさい
あと実況解説の2人は入浴中の映像を見ながら話しているが、基本的にこの競技は全裸で行われるため一般への中継放映などはされない、ていうか誰も見てない、わしの脳内競技なので

風呂上がりの掃除も審査対象

(2)意に染まぬ結婚を強要され城を逃げ出し、出で湯の森の中でたくましく生きる姫になりきる

読んで字のごとく、高貴の生まれの姫君なのに、なぜか狩りなどを行い自活できている(その辺は深く追究していない、風呂と直接関係ないから)
大体、乳母が姫君の利用する森の出で湯まで赴き、姫様に帰ってきてほしいと懇願するところから物語が始まる

乳母「姫様、かのお方ももう他の姫君とご成婚あそばされましたし、ここらで城にお戻りいただくわけには参りますまいか…」
姫君(石鹸で体を洗い)「乳母、そちの思いもわかるが、私はもはやこの森で生きていくと心に決めたのだ」
乳母「しかし姫様、このような里にほど近いところでお暮らしでは、今に里の者どもに見つかってしまいます、ましてやこのように湯浴みなど…」
姫君「ここは動物たちしか知らない隠れ湯なのだ、里の者でここを知る者はいない」
乳母「そうは仰せられましても…」
姫君「見よ、この泡立ち(と石鹸の泡を乳母に見せる)…森で得られるあの石を溶かし込まなければ、このような見事な泡にはならぬぞ」(※デタラメです)

こんなやり取りを繰り返し、やがて乳母は諦めて城に引き揚げていく
姫君が城を出たのにはもっと他の理由があるのだが、乳母にはそれを打ち明けていない
その理由についてはわしも知らない、誰か教えて欲しい

この姫君、気が向くとたまにこっそりお城に帰ってきて、お城の超豪華浴室で風呂に入る場合もある

乳母「姫様、お早くなさいませ、人に見つかってしまいます…!」
姫君「何の、新しい侍女を洗っているとでも申せ、しかし流石に城の石鹸は良い香りじゃ…いくつか土産に持って帰りたいものだの」(※姫君は図々しいところがある)
乳母「このようなものでよろしければいくらでも、ああどうか、お早く…!」
乳母は森に隠れて生きる姫君に帰ってきてほしいくせに、こういう時は城の人間から姫君を隠すのに必死である

そもそも森で自活ってどういうこと…

(3)何日も風呂に入っていない旅人になりきる

先日浮かんだ新しい設定だが、話運びは恐ろしく古びている

水も食料も底をつき、フラフラたどり着いた村の入口で、当地の権力者の侍女と出会い、あるじの屋敷に案内される
あるじは贅を尽くした屋敷に客人を迎えて、世界各地の体験談を聴くのが趣味
屋敷のほど近くには源泉があり、湯殿に温泉を引いている
その湯殿はあまりにも居心地がよく、滞在中の客人は丸一日湯殿で過ごす者が居るほど

旅人(シャンプーシャカシャカしながら)「あるじは普段どのようにしてお暮らしか」
侍女「このシャンプーやリンス、石鹸がこの村の特産で」
旅人「ほう、確かにこの香り、この泡立ちは格別だ」
侍女「なんでも、ご主人様のご先祖が、かつて森の魔女からレシピを伝授されたとか」
旅人「なんと…その魔女というのは、先ほど屋敷の裏に見えた森にいるのか」
侍女「…伝説に過ぎませんわ…」
旅人「…ふむ、しかし私も大変気に入ったよ」
侍女「あまりの使い心地に、滞在されたお客人が世界中で宣伝してくださるので、あるじも助かっております。この湯殿もそのために、お金に糸目をつけず設えられたのですよホホホ」
旅人「まさに素晴らしい湯殿だね!この石鹸、もし買えるものなら、これからの旅の伴としてぜひ幾つか譲っていただきたいが」
侍女「お客様はご滞在いただくのでお好きなだけ差し上げます。その後旅先でお入用の際は、一筆お知らせくださいませ。私共の商人は世界中に散っておりますので、直ちにお届けいたしますわ」
旅人「なんと有難い、しかしタダというのは申し訳ない、お値はいくらだね」
侍女「それは今夜のお食事ののち、あるじに何か旅のお話をお聞かせくださいませ、あるじはそれで満足いたします」
旅人「話?それだけでよいというのかね」
侍女「ハイ、この屋敷に辿り着けたお方というのは、もうそれだけで価値がおありなのです…フフフ」
旅人「!?」

旅人の運命やいかに

…みたいなことを考えているうちに、だいたい全身洗い終わる(なのでこの先の旅人の運命はよく知らない)
ここまで来れば勝ったも同然、その頃にはもう「どんなにかったるくても風呂を掃除せずには出る気になれない」のモードにシフトしているので、くだらない物語で無理やり乗らない気をねじ伏せなくても、身体は自動的に動く

かくして今夜も無事、何とか気を紛らわせて入浴を終える
風呂から上がってしまえば、その後の各作業についても風呂掃除と同じでなんかもう、入浴に付随している何かなので、かったるさもなく無意識に手が進む
なぜ入る前と入った後でこうも印象が違うのだろう、風呂掃除と風呂上がりの保湿&ドライヤー…
風呂掃除は別のタイミングでやる人や、風呂上がりの保湿は顔程度で済む人、髪も洗いっぱなしで問題ない人などはまた、違うんだろうか

とはいえ、風呂に入るまで、その一歩が踏み出せない問題の方は、未だ解決策を見出だせず…
なんかいい方法あったら知りたい

【ネタバレ断片感想その3(映画・原作)】この、世界の、片隅、

まだまだ一向に衰えない!自分の中のブームが…!
映画2回見た後に、初めて原作(Kindle版)を読んだところ、またまた思ったことがいろいろあって、いっそのことこれもメモしておこうかな、と…
ちなみに絵コンテ集はまだ見てない!
そしてようやくゲットした劇場用パンフもまだ未見!
なので、そっちを見れば一目瞭然のことをサッパリ分かっていない、相変わらず情報不足のままで書きます…!

※以下映画、と、原作「この世界の片隅に」のネタバレあり感想です
未見の方は見れる体になってからお越しくださいませ※

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【ネタバレ断片感想その2】この、世界の、片隅、

やっとこさ、2回目観てきた

1回目鑑賞後、感想を書いてから原作を、いや絵コンテ集も読むぞ!と意気込んでいたが、結局どちらも見てないままである
気付かなかった場面や、お気に入りのシーンなど、絵コンテ集なら一目瞭然だろうが、映画そのもので補完する贅沢を働いちゃろ、と思ったのである
それはおいしいものをちょっとずつへずりながらよばれたい気持ちに似ている…

ただ、ネットで流れてきた考察や批評、評論なんかを幾つか読んだ
面白かったもの(【注意】以下リンク全てネタバレあり!)↓↓

gendai.ismedia.jp

magazine.manba.co.jp

holozoa.hatenablog.com


2回目は、筋を追わなくていいのでだいぶ余裕ができた
とりとめもなく思ったことを、またまた、原作・絵コンテ集を見る前のお脳で、書き留めておこうかなと…

これを書いたらやっと!やっと原作が読めるぞ!早くしろワシ!!!
(ちなみにパンフはまたも売り切れ…入手できるのか…!)

※以下映画「この世界の片隅に」のネタバレあり感想です
未見の方は見れる体になってからお越しくださいませ※

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【ネタバレ断片感想】この、世界の、片隅、

この世界の片隅に」を見てきた
見終ってから数時間、陶酔のあまりTwitterで感想をわめき続けた
一緒に行ったみゃ様も夜中にKindleで原作を購入、一夜明けた今日は分厚い絵コンテ集を買っていた
原作、当時から凄い凄いとたいそう話題になっていたので、読みたいなあ読まなきゃなあ、と思い続けているうちに、とうとう映画が公開となり…
とはいえ、この際…と何も入れずに見に行って正解だった
あの原作がどのように動くのかを楽しむ視点は得られないが、話の流れを全く知らないままで見るのもまた格別の趣と思われるので、現時点で原作も何も見てない人は、ぜひそのままで劇場へ…

残念ながらパンフは売り切れ
でも映画を見た後、原作も絵コンテ集も見ずに、映画を見ただけの状態で、感想をまとめておきたいと思った
だからこれを書かないと原作が読めない!!早くしろワシ!!!

※以下映画「この世界の片隅に」のネタバレあり感想です
未見の方は見れる体になってからお越しくださいませ※

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いれかわってる〜〜〜!?!?

遅ればせながら「君の名は。」を見てきた

新海誠作品は「秒速5センチメートル」のみ、見たことがあった
アニメとは思えないリアルさと常に発光しているような夢のような景色が同居する素晴らしい背景、そしてそれに伴わない人物のデザイン(※個人の感想です)
物語の救いのなさもエラい言われようだった名作であるが、あれの2話、種子島かどっかの女子が主人公の男子に想いを寄せているんだけど、彼はどこか、自分の知らないところを見て生きている、みたいなのには、グッと来た
そういう目にあったことある女子、少なくないと思う
そういう男子をまばゆく眺めて、まる一年同じクラスにいて、教室の机と机の間の通路を、掃除の時間の渡り廊下を、ただすれ違い続けるだけで終わったことが、ある人は、あると思う
そういう人には、ピンとくる、あの「自分の知らない世界を見て生きている人」

君の名は。」大ヒット!と言われても、フーン、で済むはずだったが、「秒速」2話への信頼感が、なぜかずっと尾を引いていて、なんとなく気が向いたので、見てきた
映画は、劇場で見るのが好きである
背景は間違いなく酩酊を誘う美しさだろうし、解散後のジブリスタッフが入ったとかでさらに一層見ごたえのある画面になっているらしいし

※以下、ネタバレというほどのものではないが、映画見てからの方が、いいっちゃないかな〜〜、くらいの感想です※

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グズラと私

相当長時間ブログを放置した
やめたわけではないけれど、いろいろあって…

と言いかけるけども、別にそういろいろあったわけでもない
その前と、我が人生の界隈、さして変わらない
最近ちょっと忙しかったのは事実だども、その前はうなるほど時間もあった
何が変わったわけでもない
要するに、グズが発動していただけだ

幼少のみぎり、家族からの私のあだ名は「グズラ」だった
3歳くらいまで祖父母と同居だったが、その後そこそこ育った後も、よく祖父母から「早よせんね!!おらぁグズラだどやねえ笑!!」と呼びかけられていたものだ
(とはいえ怒鳴るような怖い雰囲気ではなく、ノロノロ動く孫の私を、呆れて笑いながらおちょくってせっつく、というような感じ)

私はこれだけ呼ばれといて、当時ずっと「グズラ」とは何なのか、分かっていなかった

今ならネットで瞬時に調べられることだけども、当時は、というか、これほどネットが普及する前の私に「グズラ」が何であるかを確かめるすべはなかった
ただ一つ、名前からそいつがグズであることは明確であった
「ラ」がついてるし、ゴジラあたりをもじった、何かのキャラやろな…と認識していた
そしてこれほど家族にグズラと呼ばれるということは、私はかなりのグズなんやな、という自己イメージが出来上がった

「グズラ」の姿を初めて見たのは、中学くらいの頃かな?
確か昔流行った宝島社の「VOW」のどれかで、グズラの写真が載っていた
その説明が誤植だったのか、内容は忘れたが「ははあ〜、これがグズラか…」としみじみと眺めたのを覚えている
なんということもない、グズそうな、恐竜みたいな見てくれで、ことさら印象にも残らなかった
その後調べたら、私が生まれる前のモノクロのアニメだったようで、何をするでものろっちい孫の私を表現するのに、祖父母の世代には非常にピンとくるキャラだったのかもしれない
その後、懐かしのアニメ!みたいな番組とかでもチラッと見たことくらいはあるような、気がするが、それも特に記憶に残っていない

グズにもいろいろあろうが、私の場合はまず、何にでも時間がかかる
仕事も家事も買い物も、出かける準備も、風呂もトイレも長い
さらには、所要時間を見積もれない
時間を読むのがヘタかつ苦手、普段から自分のペースがどのくらいか、の意識がない
1時間位かな〜と見積もってやり始めて2時間かかるとかザラ
時間を見誤って出かける前にドタバタ、とか日常茶飯事

この能力の欠如って、社会人としてはかなりの痛手である
こんな私が、かつての職場でなぜ成り立ってたのかわからない
こんな私を仕事で使う人はたいそう苦労したであろう(エア謝罪を飛ばす…)

具体的には、何か作業している時、「時間」の概念がいつも吹っ飛んでいる
集中している時、どれくらい時間がかかってるか、みたいな情報からかなぐり捨てている、と思う
こういう時間感覚の欠如と、手の遅さは、多分関係があるんだろう

いい年になった今の私のグズは、そういったことよりも
何かをやろうとする時の、取り掛かりの遅さ
一歩を踏み出すまでの足の重さ、腰の重さ、に如実に現れだした
ブログでも、絵でも

不安、恐れ、めんどくささ、かったるさ

何かを成し遂げた後、めちゃくちゃに批判されたら?
批判されずとも、スルーされたら?
リアクションを求めてやってるつもりはなかったのに、いつの間にかリアクションを折り込み済で考えている

何かを思いついても、ああ、でもそれをやるくらいならこないだ思いついたあっちの方が先かな…
で、いざそっちをやろうとしたら、ああ、でも今なら時期的にこっちかな…
でもでも、こないだあっちの方を先延ばしにしたし、それくらいならいっそこっちの…(無限ループ)

絵を描くのは好きだけど、作業は嫌い
線を引き、色を塗ってる時の没我の感覚は好きだけど、そこに至るまでが嫌い
書きたいもの描きたいものはあれど、描きたいものが(文章力・画力的に)すんなりスムーズに描けないストレスも嫌い
絵を描いた後、家事をするのが億劫
むしろ家事が控えてるなら、絵は後にしたい
後顧の憂いが何もない状態で、まっさらで、取り掛かりたい
…となると必然的に夜から着手となり、夜中のラブレターみたいな作業になってしまい、仕上げたもののクオリティも怪しい上に、朝から寝る、みたいな、おかしなことになる
やがて「…私は本当に絵を描くのが好きなのか?」と自問自答したりし始める

 

これは一体何なのか?
この引っ掛かりが何もなくやれる人と私の違いとは、一体何なのか??
私は何がどうなったら、この引っ掛かりを飛び越えて違う世界に行けるのか???

 

作品として一回も見たことがない、グズラを見つめる
どんなヤツかも全く知らないのに、勝手に私に紐付けられたヤツ
特に親近感もわかない、かといって恨んでいるわけでもない
でもこいつが象徴するものは、間違いなく私の中にビッタリ張り付いて息づいている
それを持て扱いかねて、私は今も文字通り、グズグズしている

このグズグズしている私を、私自身がグズラと呼んでいた、何度も記憶の中で
いい年になった私を、もはや家族たちはグズラとは呼ばないが(古いかつマイナーやし…)、私は多分ずっと、自分をグズラと呼んでいた
そして今日、私はとうとう音を上げた

 

ハイ、私はグズラですよ
もういいです、グズラで
だってパッパ動けんし、時間も読めんし、いっつも慌ててるし、
でもそれでいいです、事実なので

 

と、諦めた
どうやら、グズラと呼ばれることに抵抗してたらしい、プロのグズ師なのに
スッス動けない、これが私という人間で、その事実に歯向かうなんてムリなのに、スッス動けない自分に、全身全霊で歯向かっていたくさい
そして歯向かい続けてまた1日が終わる、のくり返し

祖父はものすごくせっかちで、その娘の我が母(団塊)も、年々せっかちになってきた
待ち合わせに1分遅れると烈火のごとく怒り、食事に行っても私がまだ食べているのに自分だけ身支度して席を立ってレジに行ってしまう
この人々の中で、我が父のひねもすのたりのたりかな遺伝子は、驚天動地のノロさに見えたであろう
そういう、相対的な要素があって、私の「グズ」の自己イメージは助長されていったのかな、と今は思う
そして、もういいよ、グズで…と、我が父のヘラヘラ遺伝子も発動しつつあるくさい

そうやって、グズグズしてヘラヘラしてる方が、なんか体にいい気がする、私の場合
いろんなことに、取り掛かれなくても、もうええやんか、それはそれで
人間いつ死ぬかわからない、そう思うとジュッとお尻に火がついた気持ちになるが、現時点での私の場合は、死ぬ日を基準に考えるのも、性に合っていない気もする(性格、年齢、環境などによってその方が俄然原動力になる人もいるはず)
それが本当にやりたいことなのであれば、無理強いしなくても、いつかやるやろ
自分はいつかそれをやる、ということだけ、信じていよう

いろんなことに、あまり抵抗しないで生きていきたいね

グズラ

…名前がグズラだからといってこいつが本当にグズかどうかはわからんぞ!
(おおかたグズと思うけど!)