ハイになる前に

「心ならもう決まってる 僕の前を僕の影が征く」

【夏休みのとも・2】だんご汁

夏休みの最初の日。
福岡空港から、おじいちゃんの運転する車でおばあちゃん家に着く。
急な坂に広がる住宅街の一画、石段を登って玄関へ。

カラカラカラ……

玄関の引き戸の音は、私の脳内に未だに染み付いている。
玄関だけじゃない、おばあちゃん家のあらゆる場所の音が、今も鮮明に思い出せる。
家のどこにいても、どの引き戸の音か、どこを歩いている足音か、瞬時に分かる。
生まれてから4歳までと、その後十数年は、年間でのべ2ヶ月程度滞在した場所。
ずっと住んでいたわけではないのに、音の記憶が体中に染み付いている。
聞いた経験が途切れ途切れでも、脳が新鮮なうちに何度も叩き込まれた音の記憶は、より濃いものになっていくのかもしれない。

居間には、ダイヤルを紐で引っ張るタイプのクーラーがあって、銀色の鼻先がオープンになっている扇風機が忙しそうに回っている。
おばあちゃんが嬉しそうに「いらっしゃ〜い」と迎えてくれる。

のどは渇いとらんね、おやつは、アイスキャンデのあるばい、手ば洗ってきんしゃい。

懐かしいことば、懐かしい声、懐かしい優しさ。
私は一気に、体中の細胞がゆるみ、おばあちゃん家に自分が溶け出すのを感じる。

夏休みのおばあちゃん家初日の定番メニューは、だんご汁だった。
私は本当に本当におばあちゃんのだんご汁が大好きで、今日はだんご汁ばい、と言われた時はもう、天にも昇る心地だった。
初日はそれと分かっていても、いちいち毎回めちゃくちゃ嬉しくて、万歳三唱くらいに喜んだ。

 

だんご汁は、一般的には大分の郷土料理で、熊本とかにも「だご汁」という名で浸透しているとか。
祖父母は荒尾の出身だったので、熊本のそれの流れをくむものかもしれないが、今調べてヒットするものとは、だいぶ違っている。
おそらく戦後の食材のない時代を経て、祖母がアレンジを加えたものだろう。*1
具も質素で簡単なもの、でも私にとってはこの世に二つと無いごちそうだった。

台所に行くと、テーブルに丸めてぬれふきんをかぶせた大きなボウルがあり、中には小麦粉と水を練っただんごの生地が丸く収まっている。
コンロではすでにアルミの両手鍋がクツクツ言っていて、おばあちゃんはあれこれ調味料を入れ、最後にうすくち醤油をトポポ……と入れる。
長い菜箸でひとまぜ、おつゆと醤油の香りがフワリと立つ。

このあとがお楽しみ、だんごの投入。
おばあちゃんは、バタンと開く棚から「フラワー小麦粉」の黄色と赤の紙袋を取り出し、まな板にパッパッと散らす。
休ませてあった生地を、粉を打ったまな板に乗せ、綿棒で伸ばしていく。
伸ばした生地を、端から包丁で斜めに切っていき、一本を手に取ると、

にゅ〜〜〜〜っ

と更に引き伸ばしてから、湧いている鍋に投げ込む。
わわっと泡が立ち、だんごが茹でられていく。
どんどん入れられるだんごたち、やがてだんごの粉が溶けて、おつゆに少しずつとろみが出てくる。
最後におばあちゃんが味見をして、だんご汁の出来上がり。

 

祖母のイメージイラストの一部

実はこのブログのアイコンがそのだんご汁。丼もおばあちゃん家の。内側が草色。

おばあちゃんのだんご汁には、キャベツと玉ねぎとしいたけが入っている。
あとちくわ。細切りの油揚げもあったかな。
だんごはたっぷり、もはや汁物とは言えない量。
鍋の中で折り畳まって分厚くモチモチしているところ、茹でる間に一体化して巨大化しているところ、薄く平たいまま茹で上がって、プルンとしたところ、いろんな食感のだんごが混ざっている。
どんな形のだんごも、全部おいしかった。
おかわりもしたし、丼の最後の一滴まで、舌鼓を打ちながら食べた。



祖母は、料理上手な人であった。
話によれば、その母、私の曾祖母も料理上手だったらしい。
幼い頃から祖母の家事を眺めていたが、やはり台所で何かをしているイメージが強い。

換気扇がガーガー回る中で、鍋から湯気が上がり、台所じゅうに干ししいたけのだしや茹でたいんげんの香りが満ちている。
あっちの棚こっちの棚を開けては、小麦粉やら醤油やらをくるくると取り回す。

季節になれば梅干しとらっきょう、白菜の漬物を仕込む。
自分の漬けたらっきょうが大好物だった。
和菓子作りも、本当に上手だった。
いわゆるプロではなく、あくまで家庭料理の延長ではあるが、私にとっての「おふくろの味」は、母の料理と祖母の料理が混在している。

記憶の中の祖母はいつも、余裕たっぷりで料理している。
台所を動き回る足取りはひとつも慌てるところがなく、あらゆる作業に完璧に慣れきった姿だった。
何かのレシピを見ていたような記憶もない。
料理番組も好きな人だったし、たまにはメモを見たりはしていたかもしれないが、とにかくいつでも、料理の手順は全て頭に入ってます、という、自信たっぷりの様子だったように思う。
今の私が、何度も作ったものでも毎回レシピと首っ引きなのとは大違いである。

今も強烈に後悔しているのは、祖母が存命のうちに、もっとレシピを聞いておけばよかった、ということ。
独身時代の私は、ろくに料理をしなかった。
やろうと思えばできなくはないが、そもそもあまりやろうと思わない体たらく。
料理そのものを嫌いというわけではなかったが、自分とはあまりにもかけ離れたことだった。

さすがに今は必要に迫られて料理もするようになったが、返す返すもあの頃のうちに、せめて、せめてあのだんご汁の作り方くらい、なして聞いておかんやったかと、思う度にカーーーっと頭に血が上るくらい、くやしい。

でも、今言うたところで、せんなきこと……

頼りはただ、自分の中にある味の記憶だけである。


大人になってから、私は何度もあのだんご汁再現に挑戦した。
でも、何をどうやっても、あの味にならない。
祖母がだんごをどう丸めてたか、具に何が入ってたかは覚えているが、おつゆをどう作っていたかを見たことは一度もなかったからである。

祖母は「〽かつお風味のほんだし〜♪」と鼻歌を歌いながら料理をしていたし、祖母の台所でもよくほんだしの箱を見かけた。
だしの素を使うなんて……という価値観が生まれたのはもっと後で、この世代の人々にとっては、この手のものはひたすら、便利な世の中の恩恵という認識だったように思う。*2
ということで私もほんだし的な鰹だしの素を使ってみたり、実際鰹節でだしをとったり、してみた。
してみたが、やっぱり、記憶通りの味にはならない。
結婚後も何度か挑戦したが、やはりどうも腑抜けたような味にしかならない。

そんなある日、私はいつも味噌汁はいりこでだしを取るのだが、それにならって、いりこだしで作ってみようかな、と思い立った。
いりこと昆布で一晩、茅乃舎のだしにプラスかつおだしの素をちょっと入れて……

するとこれが大正解!
かなり近い味のものが再現できた!

あ〜、いりこやったった〜〜い!!!
おばあちゃ〜〜ん!!いりこでだし取りよったっちゃね〜〜〜!!!

鍋の前で思わず天に向かって声をかけてしまった。

さらには、うすくち醤油を結構、ダバーーっと入れるのがコツだった。
私はいつも、醤油の入れすぎで辛くなるのに怯えてつい薄味にしてしまうのだが、そこを思い切って、ターーッと入れる。*3
汁物のお醤油の量は、ある一定の線を超えた時からグッとおいしくなる。
あとは仕上げに少し塩を入れると、全体の味のバランスが取れる。

こういうことを、おばあちゃんと話したかった。
おばあちゃんと一緒に、料理をしたかった。

料理をしていて、こうしたちょっとした気付きを、なんとなく台所で把握するたびに、私は祖母に報告したくなる。
長らくダラダラと生きてたけど、今はこうしてまともに料理くらいはやるようになったよ、と。
おばあちゃんがおいしいものをいっぱい食べさせてくれたおかげで、どうにかこうにか、作りたい味にたどり着けることも、あるよ、と。

 *

ポイントは、祖父もこのだんご汁が大好物だった、という点である。
「孫が来てくれたおかげでだんご汁にありつける〜♪」
と、毎回嬉しそうであった。
だんご汁は孫が来た時のごちそうで、日頃は祖父の好物というだけでは作ってもらえないわけである……*4

今も長生きしている祖父が元気なうちに、ぜひ私の作っただんご汁を食べてみてもらいたいが、離れて暮らしていてなかなかその機会がない。
でもねえ、これだけはなんとか、実現させたいなあ……という気持ち。
どげんかならんやろか。



お腹いっぱいだんご汁を食べて、最初の日の晩ごはんが終わる。
夕刊を広げると、宮崎では映らない番組が山のように並んでいる。
はあ、今夜はどれを見ようかな……
夜もあれこれ楽しみがある。
夏休みはまだ、始まったばかり。

 

今回は結構うまく行った

私作・最新のだんご汁。もっとがんばりましょう。

*1:祖母は「この世界の片隅に」のすずさんと同い年

*2:味の素もよく使ってたし、カップ麺も袋麺もよく食べてた。一部の知識ある人々やこだわりある人々を除き、大半の人々がさして疑いも持たず便利な食品を使う、そういう時代だったように思う

*3:相手は汁物、醤油の入れ過ぎで辛くなったら後戻りできない煮物とはわけが違う、というのはやはり料理をやるようになってからだんだん分かってきた部分である

*4:しかし実は祖父もおじいちゃんオリジナルだんご汁を作ることがあった。何度か食べたことがある。祖父のだんご汁は祖母のように平たく伸ばして切るうどんタイプではなく、確かじゃがいものすりおろしを加えて、にぎにぎしてちぎった、文字通りのだんごタイプだった。ニョッキっぽいといえばぽい。おつゆは祖母のと似たものだったがどのように味付けしてたか覚えてない