ハイになる前に

「心ならもう決まってる 僕の前を僕の影が征く」

【夏休みのとも・1】飛行機ひとり旅

私が小中学生の頃は、夏休みとは7/21〜8/31と相場が決まっていた
夏休みが始まったらすぐ、宮崎から飛行機に乗って福岡の祖母の家に行く
空港への送迎はさすがに大人がやってくれていたが、確か小1の時にはもう飛行機ひとり旅だった

宮崎空港では、今はなき東亜国内航空TDA)の「ビップチャイルド」のバッジ*1をつけられ、スチュワーデス(当時はこれ呼び)のお姉さんたちにとても優しく誘導してもらう
時々、私以外にも何人か子供のひとり旅がいたが、たいていは私だけだった
夏休み初日からひとりで飛行機に乗る子供、あんまりいなかったのだろう

「ビップチャイルド」は、飛行機の最前列の席になる
目の前はスチュワーデスのお姉さんたちの、いろんな向きに設えられた特殊な席で、たまにチラッと見ると、にっこり微笑み返してくれたりする

どぎまぎしながら視線を戻すと、各座席に用意されている「安全のしおり」を確認する
「安全のしおり」の、妙にアメコミっぽい絵柄、全体的な古くささが大好きだった
あれはそう何度も改定されるものではないらしく、いつ見ても同じ内容だが、それでも私は飛行機に乗ったら鑑賞せずにはいられなかった
もし危険な状態になっても、自分でしっかり行動するぞ、と言い聞かせる殊勝な気持ちもあったが、実のところは、大人に対して発信している真面目な内容のものなのに、絵が描かれている、というところが好きだったのだ(この感覚は、時々ポストに入ってくる某団体の布教用チラシを眺める時にもあった)

ご気分の悪い時にお使いください、という紙袋を微妙な気持ちで見ているうちに、スチュワーデスのお姉さんたちが通路に並び、救命胴衣や酸素マスクのデモンストレーションを行う
さっきはひとりひとりが違う笑顔で接してくれたお姉さんたちが、優雅かつ機械的な振り付けで動くのも奇妙な感じがした

やがて機体がゆっくりと前進する
滑走路まではやたらとろとろと走っていたのに、離陸の直前には猛烈な速さで走り出すのも好きだった
人間が大ジャンプの前に全速力で助走するのと、飛行機も同じやな、と感じていた
飛び立つ時の、斜めにGがかかる瞬間もいい
ああ、いま空に飛び立ったのだ、と全身に叩きつけられる体感は非日常の極致で、ドラえもんの世界のすぐ横をかすめたような気分になった

しばらくは外を眺めるが、子供は意外と空からの景色に飽きるのが早い
離陸後は割とすぐに、持ってきた本や漫画の方に気持ちが移る



この飛行機ひとり旅は、小6の夏休みの福岡行きまでのことで、その夏休みの終わりからは、飛行機には乗らなくなった
123便の事故が起こったからである
心配性の祖母は、もともと私の飛行機移動には反対だったのが、あの事故以来もう何が何でも絶対に大事な孫を飛行機には乗せない!!!と断固主張して、その後はまさかの片道6時間・特急移動となった*2

祖母がなくなってからは、また飛行機に乗るようになったが、長い中断を挟んだせいか、私の中では幼い頃の飛行機ひとり旅が、今に連なっているようで連なっていない、異空間で体験したことのように感じられる

「ビップチャイルド」=VIPの名称を授かり、ひとりで飛行機に乗る勇敢な子供を讃えるかのように、スチュワーデスさんたちが次々にちやほやしてくれるあの感じ、他では体験したことがない
当時周りにひとりで飛行機に乗るような子がおらず、誰とも共有できなかったのも理由のひとつかもしれない
自分の記憶の中にしかない風景が多すぎて、夢の中で見たものだったかもしれないと思うほど
時が経つにつれ、それらの記憶も微妙にほころび、砂のように風に飛び去り、夢とたいして変わらないものに変化しつつある

何十年も経って、飛行機の旅もずいぶん変わったと思うが、乗った人間の記憶に残るのはだいたい同じなのか、今も上記と似たような感覚で飛行機に乗っている
「安全のしおり」も、未だに絶対見るし

でも窓の外の景色には、結構執着するようになった
天気と席が良ければ、海岸線や川の流れるさま、山肌の風情や街の広がり、人の営みの一端を、飽かず眺める
子供の頃と違い、今の私は状況そのものの価値を見いだすようになっている
「空の上にいること」の貴重さを、逃したくないような気持ちになっている



福岡までの旅、ジェット機なら1時間も経たないうちに着陸間近になる
福岡空港は全国でも珍しい、街なかに近いところにあるため、着陸前にはそれこそドラえもんの秘密道具で撮影して並べたジオラマのような景色が楽しめる
糸のような道路の上を、茎を伝うアブラムシのように、チョロチョロと行き交う車
工場なんかの屋根に企業のマークがペイントされていて、あんなところでまで宣伝するんやな、と感心したものだった
やがてアブラムシがミニカーくらいになり、思わず手を伸ばして掴んでしまいそうになる頃、突如滑走路が現れる
やがてドドーーーーンと機体全体が震える轟音とともに、無事に着陸する

空港にはたいていおじいちゃんが来てくれていて、ニコニコと出迎えてくれる
外に出ると、福岡空港前には大きな看板が何枚も連なって並んでいて、飛行機から見た屋根のペイントを思い出したりする*3
ここからはおじいちゃんの運転する車で、おばあちゃん家にひとっ飛び
欲張ってあらゆる物を詰めた大きなバッグをトランクに積んでもらうと、気持ちはすっかり晩ごはんに飛んでしまう
私が行く最初の晩には必ず、私の大好物を作ってくれているから
でも、晩ごはんだけじゃない
これからの40日間は、あらゆる「楽しいこと」が目白押し
子供の頃の私にとって、飛行機の旅の先にはいつも、考えただけで頭からザクザクこぼれ落ちてしまいそうな「楽しいこと」の数々が待っていたのだった

 

ビップチャイルドのバッジ

低学年の頃愛用していた虹色のサスペンダー これにバッジをつければ服に穴が開かない

*1:当時はあまりよく分かっていなかったが、子供のひとり旅用のサービス 確か高学年くらいからはもう利用していなかった気がする 低学年にとってこのバッジはなかなか誇らしかった

*2:その後大学で関東住みになってからも、祖母は飛行機移動を許さず、のぞみで東京〜博多6時間半の移動を余儀なくされた

*3:あれを見ると猛烈にあー福岡帰ってきた〜という気分になる