ハイになる前に

「心ならもう決まってる 僕の前を僕の影が征く」

【夏休みのとも・3】テレビその1

おばあちゃん家の夏休みで、とにかく楽しみだったのは、テレビ。
当時私が住んでいた宮崎は、NHK総合・教育と、民放が2局だけ。*1
テレビで民放がついてる時、別の局が見たかったら

「反対にして」

といえば済む。*2

ところが福岡と来たら、民放が4局もある!!!(※当時テレQはなかった)*3
宮崎では中途半端に同じチャンネルでやる番組が、それぞれ別の曜日に別の番組として放送されている!!!
こんな、夢のような世界があるなんて!!!
そしてこんな世界に夏休みじゅう居れるなんて!!!!

祖母の家では、晩ごはんはだいたい18時半頃と、かなり早かった。
晩ごはんが終われば順に風呂に入るが、その間は居間でテレビに見入るのが日常だった。
見るのはだいたい、クイズ番組やお笑い番組、ドラマの時もあった。
タイムショックアップダウンクイズクイズダービー、100人に聞きました、連想ゲーム…
お笑いなら欽ちゃんにドリフ、ドラマは連ドラよりも夏休みの特別ドラマなどが多かった気がする。

祖父はたいてい、寝そべりながらか、座布団の上でトランプをしながら眺める。*4
21時位になると、自分だけニュースを見るために寝室に引っ込んだりしていた。
祖母もよくトランプをしていたが、縫い物をしていることもあった。
私はといえば、祖父母が孫のためにとタンスの上にせっせと積んでおいてくれた、裏が白いチラシの束に絵を描き散らしながら、テレビを見ていた。

夜の番組でよく覚えているのは、ドリフ大爆笑
今でこそ、全員集合が生で大爆笑は収録のコント、というのが分かるが、子供時分はそんな区別はよく分かっていなかった。
あの、コントの合間に「ここ笑いどころですよ!」とばかりに挟まるおばちゃんたちの笑い声……
まるっきりウチのおばあちゃんの笑い声と同じだった。
今はもうあんなSEを使う番組もないだろうが、懐かし系番組とかであの笑い声を聞くと、強烈におばあちゃんを思い出す。

それと、妙に記憶に残っているのが「天璋院篤姫」のドラマ。
佐久間良子が主演だった。
私はお絵描きしつつ片手間に見ていると、CMになった。
するとそこにどどーんと、シックなワンピースを着た佐久間良子が現れ、紅茶の宣伝が始まった。
それを見るなりおばあちゃんは

「ハー!!興ざめ!!興ざめ!!!」

と文句を言った。

きょうざめ、て何?と聞くと、おばあちゃんは

「今ドラマに出よった人がこがんして宣伝に出てきたら、台無したい!」

と答えた。
確かに、今の今まで日本髪に豪華絢爛な打掛を着ていた篤姫が、直後に洋服で紅茶を飲んでいるなんて、ドラマの気分が台無しになる、大人の気持ちも分かるような気がした。
これは私が「興ざめ」という言葉を知った事件だった。

ドラマを見てたらそのドラマの主役が出てくるCMがどどーんと流れるってのは、今も普通にある。
おばあちゃんが見たらまた「興ざめ!!」と言うだろうか。*5

おばあちゃんたちは22時頃には寝室に引っ込む。
その前に、私の寝る支度を整えてもらう。
最初の頃は2つある応接間のうち、和室の方に寝た。
布団の足元に扇風機を置いて涼を取ったり、ベープマットを新しく焚き直したり。

おやすみなさいを言うたら、部屋の電気を茶色にして(保安灯派だった)、薄い夏布団をかぶる。

(明日はどんな番組があるやろ……楽しみやな……
 でも宿題もせんならやな……
 でもテレビの方が大事やな……なんせ宮崎では絶対見れんもんな……)

そんなこんなをあれこれ考えながら、ベープマットの香りを吸い込むうち、いつしかストンと寝てしまうのだった。

子供の頃はなぜあんなに早く眠れていたのだろう。
きっと次の日が期待でいっぱいに満ちていたからだろうな……

今はなかなかそういう感覚になれず、すっかり寝付きの悪くなった体を抱えて生きる今日この頃、である。

 

ダイヤの4……つまらんねえ〜

テレビ見ながらトランプするのが定番って家、もしや珍しいのだろうか……

*1:各民放の番組は、よく分からない法則で2局に相互乗り入れ?していたらしい。

*2:当時は「反対にする」の異様さがよく分かってなかった。今や普通に地方あるある。今もそうなのだろうか、宮崎のテレビ事情。

*3:つまりテレ東以外の東京キー局の系列局が全部あった。後年関東在住になった時はどの局が対応してるのかを知りそれなりに感慨深かった

*4:後年、Windowsソリティアを見た時に(はっコレはおじいちゃんがやってたアレ…!)と思った

*5:でもこのドラマ、調べたら正月特番だった…夏の記憶ではないけど、まあいっか。