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ハイになる前に

「心ならもう決まってる 僕の前を僕の影が征く」

【ネタバレ断片感想その3(映画・原作)】この、世界の、片隅、

まだまだ一向に衰えない!自分の中のブームが…!
映画2回見た後に、初めて原作(Kindle版)を読んだところ、またまた思ったことがいろいろあって、いっそのことこれもメモしておこうかな、と…
ちなみに絵コンテ集はまだ見てない!
そしてようやくゲットした劇場用パンフもまだ未見!
なので、そっちを見れば一目瞭然のことをサッパリ分かっていない、相変わらず情報不足のままで書きます…!

※以下映画、と、原作「この世界の片隅に」のネタバレあり感想です
未見の方は見れる体になってからお越しくださいませ※

 

映画のセリフを聞いただけの段階だと、ちょっと意味がわからなかったところがいくつかあった
多分、その前にちゃんと話題として出てる話だったんだろうと思うけど、きちんと把握できてなかったり、例によって話の筋がどんどん進むので、掘り下げるヒマもなく飛んでいってしまったり、してるんだろうと思う
原作を読んでようやく、そのへんの謎が解けた部分がいくつかあった

【「浦野」の名字】
「浦野すず」と周作さんがフルネームを呼ぶシーン、ありゃいつの間に、と驚くすずさんの声に、モモヒキのすそに名前がバッチリ入っている画がかぶる
1回目見た時、名字はどこで把握したんやろ…?と思い、気付かんやったけど海苔の箱に何か書いてあったような?気もしたが、2回目それをうっかり見逃してしまった
原作では確かに、海苔の箱にドーンと「浦野」と書いてあった
あらこんな大きく書いてあったか〜と思ったが、ふと、これがその子の名字だというのは、どの程度確信の持てることだったのかしら、なんて思った
だって、現代に生きるワシの感覚だと、海苔などの商品を入れた箱には、名字というより店の屋号が入ってるイメージで…それに取引先の名前ってこともあるし…
あの頃、海辺で海苔屋などもわんさかいただろう当時は、そこにはやっぱり家の名字が入っているのが当たり前、だったのかな?
それと、多分原作ほどひと目で分かるように書かれてなかったのでは…?とも思ったり…
というのも、そこで箱の名字は映るけどやや紛れ気味に描くことで、カゴの中の謎のお兄ちゃんが、ズバッとフルネームを言い当てた不思議が強調されるし(現にワシみたいに、名字が書かれていたことを捕捉できてない観客がおるわけで)より一層「あれは昼間の夢だったのでは」感が強まるような気がするから…

…とはいえ、まあ負け惜しみですよね!!
実際、再度映画見たらめっちゃハッキリ書いてあったりしてな!!

【お父さんの仕事】
原作は注釈がたくさんあり、当時の細かい事情などがよくわかった
その中で、北條のお父さんが広の海軍工廠勤めであることが、施設の経緯なども含め、順を追って詳しく書かれていた
これが分かっているといないとでは、結構認識に差が出るなあ〜と思った
ワシは当時の軍の施設なんかチンプンカンプンであるし…(呉が造船やらなんやら軍事的な工場があって狙われやすかったであろうことくらいは分かってたけど、その程度のうっす〜い認識)

でも、呉の初空襲時に、すずさんと晴美ちゃんのところに戻ってきたお父さんが、飛行機のエンジン音?について思わず感想を述べるシーンで、飛行機関係の工場にいるんだな、というのは分かった(なおワシの祖父も海軍で飛行機整備をしていたので、あの時のお父さんと似たような感覚を持っているかもしれない)
その程度の把握でも物語にはさほど影響はないかもしれないが、「嫁ぎ先のお父さんはこんなお勤め」というのがハッキリすることで、よりすずさんの生活の追体験がリアルになるような気がした

【周作さんの仕事】
これも映画を見ただけではあまりハッキリ分からなくて…(恥ずかしながら…)
呉の海軍の、事務方?っぽい仕事かな、くらいの感覚だった
そして例の憲兵さん事件の後、周作さんが「六時に帰るからロクジと思うちょった人で!?wwwww」と大爆笑で言うセリフ、2回見ても「ロクジ」が何なのか分からなかった
この勘違いがすずさんらしさ全開であることは充分伝わるので支障はなかったwが、ロクジちゃ何ね…?というのはずっと頭にあった
原作を見てようやく「録事」(書紀みたいなもの?かな?)ということが分かり、改めて「六時に帰るからロクジてwwww」と笑ったw(笑えたよ!分かってても!!w)
これ、お父さんと周作さんが初めて浦野家にすずさんを嫁にとやってきた時とかに、仕事の紹介もしてたっけかな〜?
それともまた別の箇所で、ちゃんと周作さんの仕事の説明、してたかもしれないが、ワシは2回見てもサッパリ捕捉できないままだった
「録事」は、現代ではピンと来ない名前と思うが、そのへんの説明は特にないまま台詞が入っているあたり、なんとなく、尺稼ぎのためにトバしたところなのかなあ…?
そしてこの要素、トバしたとしても、すずさんの佇まいや北条家での立ち位置などはしっかり伝わるところに、改めて感銘を受けた
説明の省き方が絶妙、っていうのかな…?瑣末なところと重要なところ、やっぱり凄い吟味の上で情報が取り込まれている感じがした

…あっでもこれもバッチリ説明されてたりしてな!恥をうわ塗っちゃうかな!!

【テルちゃんの紅】
「みぎて」のシーンで、多分「てるちゃんの紅」という台詞が聞こえて、1回目に見た時、てるちゃんとは?そんな子おったかな、と思った記憶がある

テルちゃんは、原作に出てきた
九州弁が泣かせる少女だった
リンさん界隈の話は泣く泣くカットしたことは、原作を見る前から知っていたが、この紅の件も、省いたのに「てるちゃんの」という台詞だけが映画に入っているのは、なんとなく不思議だな…と感じている
興行成績によっては、その辺を入れた完全版を作れる!的な話がちらほら聞こえているが、もしかしてそれを念頭に入れてのこと…!?というのは穿ち過ぎ?
でもこの紅がすずさんの手元に来た経緯は、現時点での映画に描かれていなかったとしても、ギュッと凝縮して秘められているものなのかもしれない

あっでもこれも何かの聞き間違いだったらスミマセン…!!

【丑年】
千人針のシーンで、すずさんは丑年、どうやらウチの祖母と同い年と判明!
祖母は確か戦後に嫁いだ記憶があるので、すずさんとはまた全然違う暮らしだっただろうが、年齢的な思いなんかはほぼ一致してるんだなあと思うと、またもや自分との地続き具合が強まってしまった
うーんやっぱり、祖父母に見せてみたいなあ…
そしてそれがかなわないことがまた、ツラさでもあるし、逆にまた、ギリギリ、祖父母世代への記憶が消え去っていない人間が多いうちに、この作品が世に出たことを、有難いとも思う…
あの時代がなんであったのか、すずさんを通して見るための、これは秀逸なツールになっていくのではないかとも思う

【原作を読んで得たもの】
映画で見た物語、台詞の一つ一つが、文字で入ってくるのが、一層胸に響いた
ことに、晴美ちゃんへの思いの熱さ、熱いのに絵が淡々としていて(こうの先生の絵の暖かさ、かわいらしさは、こんな時につらい)、映画での描写とはまた違う痛みが、熱い塊になって胸を降りていった

そして焼夷弾が呉を襲ったあの夜の、ゴッホのような見開き

歪んどる、と分かってて、よかった、と言いながらでなくては生きていけない、生き残った者の痛みを、痛烈に感じているすずさん
それを極限状態で眺めながら分析するすずさん

映画とは別の、漫画が持つ説得力、漫画にしか出し得ない底力を、また思い知らされた

【改めて、映画の凄さ】
映画、予想以上に原作のエピソードを盛り込んでいた
リンさん絡みの部分以外も、もっと大幅に端折られていると思っていたので、出来事自体の要素はかなり網羅されているのに驚いた(原作通りの描写はなくても、台詞で入っていたり…)

リンさんのエピソードは、戦時下であってもすずさんという一人の女性の人生は粛々と過ぎ、空襲警報の中でも男女の心の揺れは変わらず存在したことを、かなり高い温度で示すので、監督はさぞ苦しかっただろうと思う

そして、これまで2つ書いた映画の断片感想で、いろいろグッと来たところが、どうやら映画オリジナル=片渕監督のエッセンスである部分が多いことが、分かったというか…
色の表現、波のうさぎや爆撃の煙は言わすもがな、カゴでの出会いを創作現実入り混じって描くとか、意識の光がバチバチ飛び交うとか、もちろん小説版とかいろいろあるらしいのでそれも関係するかもしれないが、とはいえ!
これはやっぱり、片渕監督の神懸かった技の結晶なのではないかと、もう一度噛み締めた次第…
(アッパッパの継ぎや香りのお花は原作由来だった!)

そして、運命の8月6日のあの瞬間について

原作では、その瞬間を、意外なほど、非常に小さなものに描いていた
映像で作るしかない映画とのあまりの差に、とても驚いた
それも、あれだけすずさんを後ろめたさでパンパンにした要因の一つである径子さんが、径子さんらしい話し方で、すずさんを結果的に引き止めることになる、かなり重要なやりとりを挟んでのことである
あれが、どんな風に人々の上に降ってきたのか、印象的な描き方だった

これを、映画でどう描くのかというのは、ちょっと、チャレンジングであるように思う
監督自身もさぞ、どうしてやろうかと思ったであろう

映画を見るたびにごじゃごじゃごじゃごじゃ書き散らかすワシであるが、みゃ様はどんな感じで見てるのかなと聞いてみると、

「そりゃもう、原爆一択でしょ」

みゃ様は長崎モンなので、広島とは違うけど、とても近しいある種の感覚を共有している
ワシは父親が長崎モンなだけで、自分の生育環境には原爆はなかったので、みゃ様はやはり全く違う何かを感じるようであった

「だって、そこに向かってまっしぐらなわけでしょ」

昭和20年8月に、あの地で何が起こったか、見ている人はほとんど全員が知っているわけで
それまでの描写が微笑ましければ微笑ましいほど、その日が近づくにつれ、背筋が凍るような思いにさらされる
初めてこの映画を見た時、お願いだから広島には帰らないでと、恐怖のような悲鳴のような、何とも言えない思いに肝を冷やした人は多いだろう

例えば今年の大河の「真田丸」もその辺秀逸で、見てる人ほぼ全員、主人公の属する大阪方が負けると知っていて、それでも「今年は勝ちそうな気がする」とまでネットで飛び交うほど、負けにまっしぐらに突き進む人々を描いた物語を、思い入れを持って見ている

この感じ、そうやってこれまでも、体験してはいるんだけども、なんか…
それらとは似て非なる、というか、この映画で感じた「この感情」、これほど深く、強く感じたことはなかったし、もはや、初体験の肝の冷え具合だったと思う

そこに向かってまっしぐら、以外にも、すずさんが得たもの、失ったもの、それぞれが大きくて、戦時というのがどれだけ異常で、物理的にだけじゃなく、どれだけ人を壊すのか、人を押さえつけるのか、こんな形で見せつけられたことはなかった

これが、ワシが原作読んだ状態でさらに3回目も見に行こう、と思ってしまう、要素の一つだなあ、と思った

そうです、これから3回目、見に行ってきます!!!!!
急いで準備しないと間に合わない〜!!!!

 

☆1回目鑑賞後の感想↓↓☆

at-avocado.hateblo.jp

☆2回目鑑賞後の感想↓↓☆ 

at-avocado.hateblo.jp

 

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

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