ハイになる前に

「心ならもう決まってる 僕の前を僕の影が征く」

【ネタバレ断片感想】この、世界の、片隅、

この世界の片隅に」を見てきた
見終ってから数時間、陶酔のあまりTwitterで感想をわめき続けた
一緒に行ったみゃ様も夜中にKindleで原作を購入、一夜明けた今日は分厚い絵コンテ集を買っていた
原作、当時から凄い凄いとたいそう話題になっていたので、読みたいなあ読まなきゃなあ、と思い続けているうちに、とうとう映画が公開となり…
とはいえ、この際…と何も入れずに見に行って正解だった
あの原作がどのように動くのかを楽しむ視点は得られないが、話の流れを全く知らないままで見るのもまた格別の趣と思われるので、現時点で原作も何も見てない人は、ぜひそのままで劇場へ…

残念ながらパンフは売り切れ
でも映画を見た後、原作も絵コンテ集も見ずに、映画を見ただけの状態で、感想をまとめておきたいと思った
だからこれを書かないと原作が読めない!!早くしろワシ!!!

※以下映画「この世界の片隅に」のネタバレあり感想です
未見の方は見れる体になってからお越しくださいませ※

 

 

なんかもう、鑑賞1回目では断片的なことしか浮かばず、到底まとまらないので、当座、見てすぐ頭に浮かんだことを、断片的なままに書き散らす…

【涙腺事情】
私はかつて、映画「西の魔女が死んだ」で、かなり冒頭(始まって5分とか)、おばあちゃんが主人公を出迎えるシーンで、早速号泣した
自分の祖母を重ねたためとはいえ、我ながら、いやいや、早くね???もうから????と引いたのであるが、今回、多分それに匹敵する速さで涙腺がゆるんだ

小さな船着き場で、子どものすずさんが、大きな風呂敷包みを壁に押し当て、背負い直すシーン
その丁寧な動きの構築、仕草の中に子どもの健気さが詰まっていて、見た瞬間に胸が一杯になってしまった
その子の姿が、というより、こんな風に絵を動かす熱意と才能のある人が、今から始まる映画を作ったのだと、これから2時間弱、その恩恵にあずかれるのだ、という、この状況がありがたい…みたいな気持ちもあったように思う
で、その後重なる「悲しくてやりきれない」

前知識は入れずに行ったとはいえ、戦争の時代の話であること、舞台が呉であること、くらいはさすがに知っている中で、こんなかわいくてあどけないキャラクターが、ほんわかした声で話し、やさしい色で描かれているのに
「悲しくて、悲しくて、とてもやりきれない、、、」
って歌われたら…
もう、反則である

私はKIRINJIのファンなのであるが、メンバーのコトリンゴさんが音楽担当であることも注目点の一つであった、あったが、もうこの段階で、何かそういう、普段の自分の感覚というもののスイッチがOFFになってしまった、感じがした

ちなみに…
ほんの2日前に「君の名は。」を見て、世界線移行というテーマに関連して「五色の舟」をなんとなく思い出した
とても凝っている原作を、よくまあこんな形で漫画化できたもんだと驚く傑作である

実はこの作品、舞台が広島である

「五色の舟」のラスト、祈りと絶望で涙を絞るような思いになるのであるが(それはまた、ワシにどことなく映画「キャメロット・ガーデンの少女」のラストの痛々しさを思い起こさせた)、「この世界の片隅に」の冒頭に、それにつながるモチーフが出てくる

「ああっ、五色の舟…!!!」
と、鮮烈に思い出して勝手に紐付いてしまって、ここですでに、勝手に涙が滲んでしまった
風呂敷包みのシーンは、確かこれより後だった気がする(絵コンテ集見ればわかろうが、これ書いてる段階ではまだ見てない!)

追記※
UP後に絵コンテ集見たら、風呂敷包みのシーンの方が先でした…

 

【見初めた場所】
周作さんが、すずさんを見初めた場所について、ワシはずーーっと、どこやったっけ〜まだ説明されてないよね〜、と思いながら見ていた
最終盤、橋の上で周作さんが「この橋じゃった」と語り、その後ろを冒頭のすずさんの物語の中に出てきたバケモノが通り過ぎるまで、全く、本当にまるっきり気付かなかった
うわそうやん、カゴの中で名前まで呼んでたやん!えっワシなんで気づかんかったの!?と、自分のぼんやりぶりに驚いた
…が、みゃ様も似たような時点まで気づかなかったと言うていて、え?これはもしや、あっこまで分からんのがむしろ正解なんか??と思った
とはいえ、バケモノが画面を横切る瞬間の、あのアハ体験(古!!)みたいな感覚、これはあの時点まで気づかなかったからこそ味わえたなあ…などと、思ったりもした

 

【涙の造形】
ワシはあんまり量を見てないので分からんのであるが、アニメにおける涙の描写って、「千と千尋」の、ハクのおにぎり食べて一気に緊張が解けて号泣する千尋以降、ああいう、
・大粒で
・白線で描かれて(=透明の記号)
・水信玄餅的なボヨンボヨンな動きで
・線を引かずにボッタボッタ水玉として
描かれるのが、主流になっとるんかな…?
君の名は。」の涙を見た時に、あっまた千尋涙!と思ったのが、本作でもそうだった
あの涙がキライとかではなく、単に、あれ以前はどうやって描写されてたかが、あんまりはっきり思い出せないというか
昔は、頬をツツーっと線を引いて流れたり、水しぶきみたいな小さな水滴が散ったり、してたよね?

あの千尋涙(名前あんの?)、素人の我らが見ても、あれ以前にはあそこまで粒が大きくボヨボヨしてる涙は見たことがなくて、当初ギョッとしたものだが、泣く人の思いがこごっている感じが凄くて、アニメの創り手の方々の中でも、ものすごく画期的な表現だったのかもなー、なんて思った
考えてみれば、どれも抑えに抑えた感情がどっと逆巻くシーンの重要な涙ばかりだし、見た目と同じくらいの重みがある涙なんだよ、という記号なのかもしれない
後はまあ、単にジブリ組の定番ってだけかもしれんし、真相を知ったところで「へー」で終わりのような気もするが!

 

【のん(本名・能年玲奈)】
この表記が早いこと解除されてほしい組のワシであるが、本当にもう、この人は稀有の女優だと、はっきり分かった
以下、ワシがTwitterでわめいた内容を…

あと超重要なこと のんさん(本名・能年玲奈)、あの人この世に二人といない、天下の逸材やわ 単なる芝居の上手い人、では片付かない あんな女優さん他にはおらん 凄かった あまちゃんの印象が強くて抜けてない向きこそ、今劇場行って彼女の才能を目撃しておいた方がいい


ちょっとね、あまちゃんの時も思ったけど、芝居が上手い女優なら菅ちゃんとかオノマチとかいろいろおるんよね、でものんさん(本名・能年玲奈)はなんか、次元が違う これはどっちが上とかの話ではなく、文字通り違う世界の芸を見せられてる感じで、神懸かりというか、中の人がいなくなる感じ


かといって北島マヤみたいな鬼気迫る、みたいなことでもなく、何から何まで軽やかなんよな…ちょっと、人間じゃないみたいな感じがする えっ天使なのでは?

のんちゃんがすずさんそのものだった、という前評判はさんざん聞いていたが、もう、そのものというか、すずさんが生きているとしか、実在の人としか思えなかった
のんちゃんのあの、依代みたいな在り方が、そうさせているんだな、と思う
こんな形で、あの不遇の女優が天賦の才に恵まれていることを見せつけてもらえて、本当によかった
これから、彼女の行く道がもっと拓けるといいな…てか、名前表記早よ解除されんかいな…

 

【右手】
絵を描く者にとって、絵を描くのは話す・書くに続く第3の言語である
たいていはたまたま授かるものであろうが、たまたま授かった者にとっては、頭の中のものを伝えるのに、これほど的確に使える方法はない
そして、心が動けばどうしても、それを使って形に残したくなる

あれがもし現代なら、きっと左手で描けるようにすぐにでも練習を始めるだろう
でも時代はとてもそれを許さないだろうし、すずさん自身も許さないような気がする
すずさんが、絵に支えられているというハッキリした描写はないのに、すずさんは心が動くとすぐ絵にしてしまうことで、支えになっているのが痛いほど分かる
子どもの頃、妹に描いてあげた面白いお話、学校で褒められたこと
そんな時分に「絵を描く楽しさ」「絵が描ける喜び」で、心身を満たされた体験が、すずさんの中に、あったのだろうと思う

何一つ、説明はない
でも見ているだけで、吹き飛んだ右手の絶望がどっと流れ込んできた
エンドロールの時、それがぶり返して、ワシはとうとう号泣した
せっかく授かったんだから絵を描こう!とかではなく、なんというか、ただひたすら、利き手を失うことを追体験したような、この手がなくなったらなんとしよう、みたいな、無垢なる喪失感、原始的な感情だった

この映画は、いろんな感情を妙に純化して体感させる、ような気がする

 

【今とあの時代】
遠く離れた知らない時代
戦時下は、いろいろな作品で扱われていて、少ないながらもワシもいくつかそんな作品を見ている
悲惨な戦争時代、二度と繰り返してはならない時代、戻りたくない時代
男が駆り出され、命も知れず、食べ物はなく飢えに飢え、空襲警報、防空壕言論統制大本営発表
物語は「つらい戦時の時代」として描写され、こっちも「つらい戦争の時代」として眺める

でも、本当は、戦時下であっても、当然のことながら、人と人の関係は、今と同じに展開していた
淡々と、という言葉しか見つからないのがもどかしいが、ただ淡々と、日々が続いた
今と何も変わらず、一人ひとりが、人として生きていたのだ

よくある戦時下の物語で、焼夷弾が降ってくる
よくある戦時下の物語で、登場人物は防空壕に入る
よくある戦時下の物語で、一升瓶の米を搗き、焼け野原で破裂した水道管?で登場人物は顔を洗い、足を引きずり、誰かを探し…

そんなさまざまな戦時下のエピソード、いろいろ出てきたのに
今までも確かに見たことがあるのに、すべてが、見たことがない、身が引き裂かれるような痛みを伴っていた

今自分が生きている場所と、あのスクリーンの中は繋がっている
自分ははっきりと、あの世界、死が降ってくる世界の続きに生きているのだ

 

【たんぽぽ】
物語が終わって、打ちのめされる我々に降り注ぐ、コトリンゴさんの楽曲は「たんぽぽ」
意外なほどにものすごく早いテンポで、鍵盤が叩かれる
強い風が吹いているような、走っている時の動悸のような、静かなのに激しい、早鐘のような音色だった
KIRINJIのライブで見たコトリンゴさんは、バークリー仕込みの超絶技巧で、この曲も音だけであの神懸かった姿を思い起こした
そこにかぶる、甘くやさしいそよ風のような歌声

この曲、これからもすずさんには、この力強いピアノのような怒涛の人生が続くことが暗示されているように感じた
そして、コトリンゴさんの柔らかい歌声は、そんな怒涛の人生を、相変わらずちょっとぼ〜っとしたまま、毎日の生活として乗り越えていくすずさんの姿に、重なるようにも思えた

でも…
本来、どんな人も、人生は怒涛である
その人自身にしか分からない、怒涛をみんな、抱えて生きている

 

【この世界を見せたいけれど】
あの時代を本当に生きて、見知っている人というのが、今はもう多くはおらず、残っている人も把握が難しいような年令に達してしまっているというのが、実に惜しい
本作に描かれている風景は、取材した事実に徹底的にこだわって再現されているというし、そのリアルさというものを、ぜひ生の声として聞いてみたいと思った
例えば、広島の該当世代の人に、施設などで上映会をするとか…と、そこまで考えて、ハッとした
この作品、徹底的にリアルであればあるほど、記憶のある人にはリアルが過ぎて、一線を越えてしまうかもしれない
リアルさの度合いを知りたい、みたいな浅はかな思いだけで、人の気持の領域に踏み込むようなことは、さすがにできんか…と思い直した
それこそ「今とつながっている」感覚が欠落している証拠やな…と反省しきりだった

ウチの祖父は現在90歳、まだ矍鑠とはしているが、耳はすっかり遠くなった
本作は字幕バージョンもあるので、映画館に連れてきて見せること自体は出来るだろうが、このテンポの速さで、どの程度理解してもらえるものか分からない
また祖父は内地勤務ではなかったし、土地柄も違うので、すずさん達の日常はさほど共感を呼ばないかもしれない
それなら、実際に防空壕に入ったり、空襲警報を聴いたりしていたであろう祖母に、見せてみたいもんだなあ…と思ったが、祖母はもうこの世にいない

祖母は、長崎に落ちた原爆を、海を挟んだ熊本側から見たと話していた
見たこともないような雲が、それはキレイだった、と話した
あんなに酷いものが、何も知らない者にとっては美しく見えた、という恐ろしい話は、子ども心に胸の底が冷たくなった

そんな思いでふとカレンダーを見れば、今日は祖母の17年目の命日だった

叶わぬことであるが、もし一緒にこの映画を見れていたら、祖母は何と言うだろう
すずさんと祖母は、ほぼ同年代である
見終わった直後にもう2回めを見に行くと決めたが、次は少しだけ、すずさんの中に祖母を見ながら、見てみようと思う

  

以上、まとまらないが浮かんできたことを、メモ代わりに
みゃ様は「アナタ多分3回は見るね」と予言しているので、そこ超えちゃろーかいな…と思っている

 

 

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

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この世界の片隅に 劇場アニメ絵コンテ集

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