読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ハイになる前に

「心ならもう決まってる 僕の前を僕の影が征く」

グズラと私

相当長時間ブログを放置した
やめたわけではないけれど、いろいろあって…

と言いかけるけども、別にそういろいろあったわけでもない
その前と、我が人生の界隈、さして変わらない
最近ちょっと忙しかったのは事実だども、その前はうなるほど時間もあった
何が変わったわけでもない
要するに、グズが発動していただけだ

幼少のみぎり、家族からの私のあだ名は「グズラ」だった
3歳くらいまで祖父母と同居だったが、その後そこそこ育った後も、よく祖父母から「早よせんね!!おらぁグズラだどやねえ笑!!」と呼びかけられていたものだ
(とはいえ怒鳴るような怖い雰囲気ではなく、ノロノロ動く孫の私を、呆れて笑いながらおちょくってせっつく、というような感じ)

私はこれだけ呼ばれといて、当時ずっと「グズラ」とは何なのか、分かっていなかった

今ならネットで瞬時に調べられることだけども、当時は、というか、これほどネットが普及する前の私に「グズラ」が何であるかを確かめるすべはなかった
ただ一つ、名前からそいつがグズであることは明確であった
「ラ」がついてるし、ゴジラあたりをもじった、何かのキャラやろな…と認識していた
そしてこれほど家族にグズラと呼ばれるということは、私はかなりのグズなんやな、という自己イメージが出来上がった

「グズラ」の姿を初めて見たのは、中学くらいの頃かな?
確か昔流行った宝島社の「VOW」のどれかで、グズラの写真が載っていた
その説明が誤植だったのか、内容は忘れたが「ははあ〜、これがグズラか…」としみじみと眺めたのを覚えている
なんということもない、グズそうな、恐竜みたいな見てくれで、ことさら印象にも残らなかった
その後調べたら、私が生まれる前のモノクロのアニメだったようで、何をするでものろっちい孫の私を表現するのに、祖父母の世代には非常にピンとくるキャラだったのかもしれない
その後、懐かしのアニメ!みたいな番組とかでもチラッと見たことくらいはあるような、気がするが、それも特に記憶に残っていない

グズにもいろいろあろうが、私の場合はまず、何にでも時間がかかる
仕事も家事も買い物も、出かける準備も、風呂もトイレも長い
さらには、所要時間を見積もれない
時間を読むのがヘタかつ苦手、普段から自分のペースがどのくらいか、の意識がない
1時間位かな〜と見積もってやり始めて2時間かかるとかザラ
時間を見誤って出かける前にドタバタ、とか日常茶飯事

この能力の欠如って、社会人としてはかなりの痛手である
こんな私が、かつての職場でなぜ成り立ってたのかわからない
こんな私を仕事で使う人はたいそう苦労したであろう(エア謝罪を飛ばす…)

具体的には、何か作業している時、「時間」の概念がいつも吹っ飛んでいる
集中している時、どれくらい時間がかかってるか、みたいな情報からかなぐり捨てている、と思う
こういう時間感覚の欠如と、手の遅さは、多分関係があるんだろう

いい年になった今の私のグズは、そういったことよりも
何かをやろうとする時の、取り掛かりの遅さ
一歩を踏み出すまでの足の重さ、腰の重さ、に如実に現れだした
ブログでも、絵でも

不安、恐れ、めんどくささ、かったるさ

何かを成し遂げた後、めちゃくちゃに批判されたら?
批判されずとも、スルーされたら?
リアクションを求めてやってるつもりはなかったのに、いつの間にかリアクションを折り込み済で考えている

何かを思いついても、ああ、でもそれをやるくらいならこないだ思いついたあっちの方が先かな…
で、いざそっちをやろうとしたら、ああ、でも今なら時期的にこっちかな…
でもでも、こないだあっちの方を先延ばしにしたし、それくらいならいっそこっちの…(無限ループ)

絵を描くのは好きだけど、作業は嫌い
線を引き、色を塗ってる時の没我の感覚は好きだけど、そこに至るまでが嫌い
書きたいもの描きたいものはあれど、描きたいものが(文章力・画力的に)すんなりスムーズに描けないストレスも嫌い
絵を描いた後、家事をするのが億劫
むしろ家事が控えてるなら、絵は後にしたい
後顧の憂いが何もない状態で、まっさらで、取り掛かりたい
…となると必然的に夜から着手となり、夜中のラブレターみたいな作業になってしまい、仕上げたもののクオリティも怪しい上に、朝から寝る、みたいな、おかしなことになる
やがて「…私は本当に絵を描くのが好きなのか?」と自問自答したりし始める

 

これは一体何なのか?
この引っ掛かりが何もなくやれる人と私の違いとは、一体何なのか??
私は何がどうなったら、この引っ掛かりを飛び越えて違う世界に行けるのか???

 

作品として一回も見たことがない、グズラを見つめる
どんなヤツかも全く知らないのに、勝手に私に紐付けられたヤツ
特に親近感もわかない、かといって恨んでいるわけでもない
でもこいつが象徴するものは、間違いなく私の中にビッタリ張り付いて息づいている
それを持て扱いかねて、私は今も文字通り、グズグズしている

このグズグズしている私を、私自身がグズラと呼んでいた、何度も記憶の中で
いい年になった私を、もはや家族たちはグズラとは呼ばないが(古いかつマイナーやし…)、私は多分ずっと、自分をグズラと呼んでいた
そして今日、私はとうとう音を上げた

 

ハイ、私はグズラですよ
もういいです、グズラで
だってパッパ動けんし、時間も読めんし、いっつも慌ててるし、
でもそれでいいです、事実なので

 

と、諦めた
どうやら、グズラと呼ばれることに抵抗してたらしい、プロのグズ師なのに
スッス動けない、これが私という人間で、その事実に歯向かうなんてムリなのに、スッス動けない自分に、全身全霊で歯向かっていたくさい
そして歯向かい続けてまた1日が終わる、のくり返し

祖父はものすごくせっかちで、その娘の我が母(団塊)も、年々せっかちになってきた
待ち合わせに1分遅れると烈火のごとく怒り、食事に行っても私がまだ食べているのに自分だけ身支度して席を立ってレジに行ってしまう
この人々の中で、我が父のひねもすのたりのたりかな遺伝子は、驚天動地のノロさに見えたであろう
そういう、相対的な要素があって、私の「グズ」の自己イメージは助長されていったのかな、と今は思う
そして、もういいよ、グズで…と、我が父のヘラヘラ遺伝子も発動しつつあるくさい

そうやって、グズグズしてヘラヘラしてる方が、なんか体にいい気がする、私の場合
いろんなことに、取り掛かれなくても、もうええやんか、それはそれで
人間いつ死ぬかわからない、そう思うとジュッとお尻に火がついた気持ちになるが、現時点での私の場合は、死ぬ日を基準に考えるのも、性に合っていない気もする(性格、年齢、環境などによってその方が俄然原動力になる人もいるはず)
それが本当にやりたいことなのであれば、無理強いしなくても、いつかやるやろ
自分はいつかそれをやる、ということだけ、信じていよう

いろんなことに、あまり抵抗しないで生きていきたいね

グズラ

…名前がグズラだからといってこいつが本当にグズかどうかはわからんぞ!
(おおかたグズと思うけど!)