ハイになる前に

「心ならもう決まってる 僕の前を僕の影が征く」

【夏休みのとも・2】だんご汁

夏休みの最初の日。
福岡空港から、おじいちゃんの運転する車でおばあちゃん家に着く。
急な坂に広がる住宅街の一画、石段を登って玄関へ。

カラカラカラ……

玄関の引き戸の音は、私の脳内に未だに染み付いている。
玄関だけじゃない、おばあちゃん家のあらゆる場所の音が、今も鮮明に思い出せる。
家のどこにいても、どの引き戸の音か、どこを歩いている足音か、瞬時に分かる。
生まれてから4歳までと、その後十数年は、年間でのべ2ヶ月程度滞在した場所。
ずっと住んでいたわけではないのに、音の記憶が体中に染み付いている。
聞いた経験が途切れ途切れでも、脳が新鮮なうちに何度も叩き込まれた音の記憶は、より濃いものになっていくのかもしれない。

居間には、ダイヤルを紐で引っ張るタイプのクーラーがあって、銀色の鼻先がオープンになっている扇風機が忙しそうに回っている。
おばあちゃんが嬉しそうに「いらっしゃ〜い」と迎えてくれる。

のどは渇いとらんね、おやつは、アイスキャンデのあるばい、手ば洗ってきんしゃい。

懐かしいことば、懐かしい声、懐かしい優しさ。
私は一気に、体中の細胞がゆるみ、おばあちゃん家に自分が溶け出すのを感じる。

夏休みのおばあちゃん家初日の定番メニューは、だんご汁だった。
私は本当に本当におばあちゃんのだんご汁が大好きで、今日はだんご汁ばい、と言われた時はもう、天にも昇る心地だった。
初日はそれと分かっていても、いちいち毎回めちゃくちゃ嬉しくて、万歳三唱くらいに喜んだ。

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【夏休みのとも・1】飛行機ひとり旅

私が小中学生の頃は、夏休みとは7/21〜8/31と相場が決まっていた
夏休みが始まったらすぐ、宮崎から飛行機に乗って福岡の祖母の家に行く
空港への送迎はさすがに大人がやってくれていたが、確か小1の時にはもう飛行機ひとり旅だった

宮崎空港では、今はなき東亜国内航空TDA)の「ビップチャイルド」のバッジ*1をつけられ、スチュワーデス(当時はこれ呼び)のお姉さんたちにとても優しく誘導してもらう
時々、私以外にも何人か子供のひとり旅がいたが、たいていは私だけだった
夏休み初日からひとりで飛行機に乗る子供、あんまりいなかったのだろう

「ビップチャイルド」は、飛行機の最前列の席になる
目の前はスチュワーデスのお姉さんたちの、いろんな向きに設えられた特殊な席で、たまにチラッと見ると、にっこり微笑み返してくれたりする

どぎまぎしながら視線を戻すと、各座席に用意されている「安全のしおり」を確認する
「安全のしおり」の、妙にアメコミっぽい絵柄、全体的な古くささが大好きだった
あれはそう何度も改定されるものではないらしく、いつ見ても同じ内容だが、それでも私は飛行機に乗ったら鑑賞せずにはいられなかった
もし危険な状態になっても、自分でしっかり行動するぞ、と言い聞かせる殊勝な気持ちもあったが、実のところは、大人に対して発信している真面目な内容のものなのに、絵が描かれている、というところが好きだったのだ(この感覚は、時々ポストに入ってくる某団体の布教用チラシを眺める時にもあった)

ご気分の悪い時にお使いください、という紙袋を微妙な気持ちで見ているうちに、スチュワーデスのお姉さんたちが通路に並び、救命胴衣や酸素マスクのデモンストレーションを行う
さっきはひとりひとりが違う笑顔で接してくれたお姉さんたちが、優雅かつ機械的な振り付けで動くのも奇妙な感じがした

やがて機体がゆっくりと前進する
滑走路まではやたらとろとろと走っていたのに、離陸の直前には猛烈な速さで走り出すのも好きだった
人間が大ジャンプの前に全速力で助走するのと、飛行機も同じやな、と感じていた
飛び立つ時の、斜めにGがかかる瞬間もいい
ああ、いま空に飛び立ったのだ、と全身に叩きつけられる体感は非日常の極致で、ドラえもんの世界のすぐ横をかすめたような気分になった

しばらくは外を眺めるが、子供は意外と空からの景色に飽きるのが早い
離陸後は割とすぐに、持ってきた本や漫画の方に気持ちが移る



この飛行機ひとり旅は、小6の夏休みの福岡行きまでのことで、その夏休みの終わりからは、飛行機には乗らなくなった
123便の事故が起こったからである
心配性の祖母は、もともと私の飛行機移動には反対だったのが、あの事故以来もう何が何でも絶対に大事な孫を飛行機には乗せない!!!と断固主張して、その後はまさかの片道6時間・特急移動となった*2

祖母がなくなってからは、また飛行機に乗るようになったが、長い中断を挟んだせいか、私の中では幼い頃の飛行機ひとり旅が、今に連なっているようで連なっていない、異空間で体験したことのように感じられる

「ビップチャイルド」=VIPの名称を授かり、ひとりで飛行機に乗る勇敢な子供を讃えるかのように、スチュワーデスさんたちが次々にちやほやしてくれるあの感じ、他では体験したことがない
当時周りにひとりで飛行機に乗るような子がおらず、誰とも共有できなかったのも理由のひとつかもしれない
自分の記憶の中にしかない風景が多すぎて、夢の中で見たものだったかもしれないと思うほど
時が経つにつれ、それらの記憶も微妙にほころび、砂のように風に飛び去り、夢とたいして変わらないものに変化しつつある

何十年も経って、飛行機の旅もずいぶん変わったと思うが、乗った人間の記憶に残るのはだいたい同じなのか、今も上記と似たような感覚で飛行機に乗っている
「安全のしおり」も、未だに絶対見るし

でも窓の外の景色には、結構執着するようになった
天気と席が良ければ、海岸線や川の流れるさま、山肌の風情や街の広がり、人の営みの一端を、飽かず眺める
子供の頃と違い、今の私は状況そのものの価値を見いだすようになっている
「空の上にいること」の貴重さを、逃したくないような気持ちになっている



福岡までの旅、ジェット機なら1時間も経たないうちに着陸間近になる
福岡空港は全国でも珍しい、街なかに近いところにあるため、着陸前にはそれこそドラえもんの秘密道具で撮影して並べたジオラマのような景色が楽しめる
糸のような道路の上を、茎を伝うアブラムシのように、チョロチョロと行き交う車
工場なんかの屋根に企業のマークがペイントされていて、あんなところでまで宣伝するんやな、と感心したものだった
やがてアブラムシがミニカーくらいになり、思わず手を伸ばして掴んでしまいそうになる頃、突如滑走路が現れる
やがてドドーーーーンと機体全体が震える轟音とともに、無事に着陸する

空港にはたいていおじいちゃんが来てくれていて、ニコニコと出迎えてくれる
外に出ると、福岡空港前には大きな看板が何枚も連なって並んでいて、飛行機から見た屋根のペイントを思い出したりする*3
ここからはおじいちゃんの運転する車で、おばあちゃん家にひとっ飛び
欲張ってあらゆる物を詰めた大きなバッグをトランクに積んでもらうと、気持ちはすっかり晩ごはんに飛んでしまう
私が行く最初の晩には必ず、私の大好物を作ってくれているから
でも、晩ごはんだけじゃない
これからの40日間は、あらゆる「楽しいこと」が目白押し
子供の頃の私にとって、飛行機の旅の先にはいつも、考えただけで頭からザクザクこぼれ落ちてしまいそうな「楽しいこと」の数々が待っていたのだった

 

ビップチャイルドのバッジ

低学年の頃愛用していた虹色のサスペンダー これにバッジをつければ服に穴が開かない

*1:当時はあまりよく分かっていなかったが、子供のひとり旅用のサービス 確か高学年くらいからはもう利用していなかった気がする 低学年にとってこのバッジはなかなか誇らしかった

*2:その後大学で関東住みになってからも、祖母は飛行機移動を許さず、のぞみで東京〜博多6時間半の移動を余儀なくされた

*3:あれを見ると猛烈にあー福岡帰ってきた〜という気分になる

【夏休みのとも・0】終業式

7月に入る頃には、二期作をやる宮崎の田んぼの稲はずいぶん膨れて、穂が頭を垂れてくる
一面の緑の中に、少し黄色がかった穂もある
そして何より、イネ科の植物特有の、青臭いともちょっと違う、ぎゅむぎゅむした匂いが辺りに充満する

この匂いが漂う道に、ランドセルを背負って歩く私が見える
田んぼの中の道の先にあるのは最後に通った小学校、ということは私は6年生であろう(私は合計3校の小学校に通った)
7月は、日に日に膨らむ稲の穂の匂いを胸いっぱいに吸い込み、きたる7/21を心待ちにしながらこの道を登下校した

夏休みになれば、おばあちゃん家に行ける――――

 



 

2018年7月の頭、台風が過ぎ去りポッカリと晴れた日
貴重な梅雨の晴れ間にベランダで布団を干していると、ジーーーー……という音が聞こえてきた

(ああ、今年も蝉の季節かあ…)

と思った瞬間、頭の中にいっぺんに、大量の記憶が再生された

人が一番強烈に記憶を呼び覚まされるのは匂いだと何かで読んだが、音も結構その力が強いと思う
九州の夏のはじめの、ジーーーー……という、少し高い蝉の声(ニイニイゼミらしい)
この音のせいで、以前ちょっと考えたけど実現しなかったことを、やってみようかな、という気になった

以前チラッと書いたことがあるけれども、私は4歳〜高1の1学期まで宮崎市内で暮らしていた(高1の2学期に福岡に転校)
そして、小1〜中3の間、夏休みを始めとする長期休暇の際は、全日程を通して福岡の住宅街にある母方の祖母の家に滞在した*1

幼い頃から引越・転校が多く、幼馴染とか、子供時代を通して過ごした懐かしい実家、みたいな、「帰属先」と感じられるものを持てなかった
その郷愁は私の中で、たった一箇所、この祖母の家に凝縮された

当時の「おばあちゃん家(ち)」は、祖父母の二人暮らし
私が生まれる半年前に、住宅街に祖父が建てた芝生の庭の木造平屋である
よくある、田舎で農家だとか、土間がある井戸がある、なんていう家ではない
当時のベッドタウンの、単なる一軒家に過ぎない

近所に同年代の子供もそれなりにいたはずだが、夏休み中に一緒に遊んだことはない
ほとんどの日、ほとんどの時間を、一人で遊び倒して過ごした
祖父母にとって私は生まれて数年同居した初孫だけに、デレデレに甘かった
朝寝坊してもさほど怒られもせず、おいしいごはんとおいしいおやつ、漫画に音楽にテレビ、空想とお絵描きに明け暮れる日々
これが天国でなくて何であろうか

私の中には、あの家で過ごした子供が未だに同居している
あの子がいつも、ことあるごとに私にささやきかける

これ、おばあちゃん家のあれに似てるね
これ、おばあちゃん家で最初に見たね
これ、おばあちゃん家の庭にも咲いてたね

あの子はいつも楽しそうに、全力でおばあちゃん家を駆けずり回っている
私はあの家にあの子を置いたまま、何十年も目の前に到来する現実を生き延びてきた
常に一緒にいながら、あの頃の感覚を置き去りにしてきた
あの子を、そろそろいったんつかまえてみたいと思った

つかまえるなら、まずは夏
あの子と、あの子の延長線上にいる私とが、一番交錯しやすい季節
蝉の声を聞いて一気にスイッチが入ったということは……
あの子も多分、同じ蝉の声を聞いていたはず

昔から私は、細かいことをやたらあれこれ覚えている質だが、同時に残念ながら、時系列とか場所の記憶が、ボゴッと、大幅に、抜け落ちるタイプである
多分、細かい記憶の方にばかりリソースを割いてしまう、残念なお脳なんだろうと思う
私の中に大量に降り積もっている夏休みの記憶を、なんとなく書き連ねてみたいな〜という思いはあるものの、それがいつの記憶なのかを明確にできない
実際にあった事件とかが絡んでいるなら、検索で判明する場合もあるものの、ほとんどの記憶が時系列不明である
以前やってみようと思ったけど諦めたのはこのせいで、時系列もない状態でどうやって記録すんの?という壁にぶち当たったわけである

でも、もう無理っぽい、抱えてるのが、気持ち的に
なので、時系列、ほぼ無視で書こうと思っている

とはいえ、検索すれば分かる場合はもちろん書き添えるし……
というより、今の私は、それがいつの話なのかとか、時間的にキチンと並んでなければならないとか、いうことが、あまり気にならなくなっている
そういうことに引っかかってる、ヒマがない、という気分でもある

そんな個人的なアレコレをワールドワイドウェッブに書く意味も、あんまり考えてない
あるのは本当に、単に、お脳から出したい衝動ばかり
今の気分として、その衝動に駆られるままに行動したいというだけである

 



 

宮崎の真っ直ぐ照りつける日差しの中、日焼けで焦げた小6の私が、稲穂の香りが満ちる田んぼの中の道を下校している
山のように1学期の荷物を抱え、水彩絵の具セットと黄色い筆洗なんかをカタカタ言わせて
ランドセルの中には通知表、明日はすぐに飛行機に乗っておばあちゃん家に行く
おばあちゃんもおじいちゃんも、いつものように手放しで喜んで歓迎してくれる
帰ったら荷物の準備をしないと
いつものように、あれもこれも持って行こう

 

宮崎の景色の一番遠くはいつでもぐるりと山

*1:登校日は一切無視で、一度も登校したことはない、だから登校日に学校で何をするのか知らない