ハイになる前に

「心ならもう決まってる 僕の前を僕の影が征く」

ガリガリとシャービック

ツクツクホーシが鳴くと、宿題終わってないなー…と思っていた頃のことを思い出す
夏、毎度のこと

小さい頃大好きだったのはこれ

どーもーガリガリでーす
これ、我が家では「ガリガリ」と呼んでいた
凍ったところをガリッとかじる食感と音からの呼び名と思われる
夏の暑い日、祖母は「ガリガリ食べるね?」と冷凍庫から冷気の湯気の出るガリガリを出してくれた
数年後には自分で好きな味を出してきた
オレンジ味が大好きで、色の濃いぶどうはいつも余った
白は具体的に何の味かいつもわからなかった

ツクツクホーシと甲子園の音を聴きながら、ガリガリをかじる
食べ進めて袋が長くなってくれば、キッチンバサミでカットする
どんな時も、祖母の家の冷凍庫にはガリガリが凍らせてあった

長じて首都圏でバイトをした時、これは世間的には「チューペット」らしいことに静かに衝撃を受けた
しかも「ガリガリ」名はすでに「ガリガリ君」が世の中に幅をきかせており、以後私はガリガリの名を口にすることはなくなった(通じんし)

 

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▲ガリガリって呼ぶヤツ、九州にすらおらんやないか!

とはいえ、今回は「ガリガリ」で通す、言いにくいし、他の名前

ところでコイツの、首のあたり
私にとってのガリガリは、右である

スタンダードとは
気づけば世の中のガリガリは、左の肩があるタイプになっていた
左の方が量は多そうだが、個人的には右のなで肩タイプの方が好き
なんていうか、左のはなんか、そっけないんだ…ガリガリを愛する子どもを、突き放してるような気がしてさ…
なで肩の方が、一口目をガリッと行く際に引っ掛かりがないので、「あますところなく僕を食べてよ!」って言ってる感じがしない?しないか…

そしてまた、ある時期からガリガリは「途中で折れる」ようになった

ポキッ
私にとってのガリガリは、途中のクビレなどはなかった
いつからこうなったのかは知らないが、これなら小さい子にも対応できるし、違う味を食べたい時も半分ずつで楽しめる
…でもこれも、なんかさあ〜〜!!
結局折らずに1本通しで食べたい時に、このクビレのところでやっぱり、ガリガリを愛する子どもを、突き放してるようなさ…
「さて、ここらで半分ですけど、まだ召し上がります?」みたいな?
食べるし!!ほっとけ!!
やっぱりガリガリにはスーッと一本、スマートでいて欲しくてさ…
途中警告なんて何もなく、ふと気づいたら終わりも近い、みたいな方がさ、「ああ、もうお別れだね…」ってガリガリが言ってるような気がして、叙情的じゃない…?そうでもない…?

昭和の夏休み、祖母の家での氷菓といえば「シャービック」が外せない

理想
パッケージの、夢と輝きに溢れた星形ハート型、トランプ型
おしゃれなピック、脚でも付いたガラスの器にかわいらしく盛られたシャービックは、小学生のあこがれを誘う

ところが祖母の家にそんな最先端の型が置いてあるわけがない
たいていは余っている製氷皿と、何の用途か分からない雑〜なボウルを使うしかない

さらにいざ作ろうとすると、意外と牛乳が切れてたりする
「…水でも作れます、って書いてあるし…いっか…」

そして固まるまで待てず、つい様子を見てせっかく表面にできてた薄い氷部分をハデにクラッシュさせ、さらに待つ羽目になったり

…気を取り直して、辛抱強く固まるのを待って、2時間後!!

現実
足のついた器はないから、せめてガラスで!
しゃれたピックは諦めてつまようじでよかろ!
謎のボウルの分は、ダイレクトにスプーンでこそげちゃー!

そして、妥協して水で作ったシャービックの、フヌケ感!!!

夏休みになったら、お祖母ちゃん家でシャービック作る!!は、夏に絶対にやらなければならない、もはや儀式だった
ガリガリも、テレビ見ながら、絵を描きながら、夏休みのあらゆることのお伴のおやつだった
…ガリガリもシャービックも、涙が出るほど好きだった

今は、びっくりするほど食べないねえ〜!!
色がすごいから?
他のおいしいもの、いろいろ知ってるから?

大人の今の人生には不要な味だったとしても、涙が出るほど好きだった気持ちはすごく必要だ
少なくとも私は、そういう気持ちがないと、生きていけない、くらいある

なんだろうね、この感じ